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シャーロキアンを目指す旅⑦

6日目 ロンドン東奔西走!幻の?コールフィールド・ガーデン

6月30日(水)
本日は東奔西走の日になる予定。
ロンドンへついてから毎日が東奔西走しているくせにって?
いえいえ、今日こそは文字通り本当にロンドンの西と東を思いっきり歩くつもりだ。
西はハイド・パーク、ケンジントン・ガーデンを横切ってケンジントン宮殿の西側まで、東はシティを横切ってリバプール駅周辺までと思っているのだから、我ながら凄い予定だ。欲張ってはみたものの、さてどのくらい思い通りに行くものか、楽しみだ。
まずは西へ。
ホテルをいつも通り八時に出て、オックスフォード街を真っ直ぐマーブル・アーチまで歩く。
そこがハイド・パークの入り口でもあるし、そこから公園の東側を走っているパーク・レーンの427番地には「空家事件」の発端となったロナルド・アデア卿の邸宅があったはずなのだ。
この事件のあった屋敷をぽかんと見ていたワトソンが本を抱えた変装したホームズにぶつかったところでもある。
だがパーク・レーンはハイド・パークの一辺を南北に走っている長い道なので、オックスフォード街側と書かれていたこともあり、427番地は直ぐこの辺りということに決めた。正確な番地があるのに惜しいような気もするが、探すのは止めて通りの美しさだけ眺めた。次にタイバーン・ツリーのあったところを探すことにした。
オックスフォード街とエッジウェア街との交差点にあり昔公開処刑場があったところだ。何でこの名を覚えたのか憶えていないが、ディケンズの作品でだったのだろうか?
頭の中に刻み込まれたロンドンの地名の一つなので、気になっていたのだ。
「三人ガリデブ」のネイサン・ガリデブの住まいリトル・ライダー街136番地がタイバーンの直ぐ近くとして作品には出ている。
この物語はユニークでなんとなくおかしみがあって割合好きな物語だ。
家を空けさせるために犯人の思いついた策略も、それに乗るネイサンもその人物像も。
彼の人生の最後の様子を読むと確かに笑えるどころではないのだが、それでもワトソンが最初に書き出したように喜劇的な部分があって思わず笑ってしまう。
タイバーンの血塗られた楡の木の歴史を思えばこの地は笑う所では勿論ないけれど。
しかしその跡を思わせ記念するものを私たちは見つけそこなったのだろうか?
見付かったのは公園の隅にタイバーン・ウェイという表示と、ハイド・パークの北辺のベイズウォーター・ロードを渡る地下道の入り口にあるタイバーンの文字だけだった。
ロンドンのことだからどこかにひっそりと記念碑があるに違いないと言う気がしたのだけれど、探すところを間違えたかも知れない。
ともあれ、スピーカーズ・コーナーからハイド・パーク散策をスタートさせた。
ノース・キャリッジ・ドライブを歩き始めたら、直ぐ二頭立ての馬車に追い越された。
黒の燕尾服に山高帽の男が二人馬車の御者台に座り、後ろに一人が直立していた。
本当に馬車道を馬車が通って行ったので
「へぇ!」と驚いた。
「やっぱりロンドン!」
マルボロ・ゲートまで歩くとロング・ウォーターからサーペンタイン池へと続く長い湖が見えてきた。
マルボロ・ゲートの直ぐ先のランカスター・ゲート北側の邸宅を「花嫁失踪事件」の花嫁の父ドーラン氏が買い取り結婚披露宴が行われたのだが、その直後サーペンタイン池に花嫁衣裳が浮かんでいるのが発見されて、レストレードがこの池をさらったのだった。
ランカスター・ゲートの北側には立派なホテルが林立しており、豪邸ぞろいといった趣だが、私たちはその通りの一つの白亜の邸宅をそのドーラン邸とみなして写真に収めた。
ロング・ウォーターに沿って、ピーター・パンの像を見がてらサーペンタイン池の方へと道を取る事にした。
ロング・ウォーターの北側は瀟洒な東屋と四つに区切られた美しい池で始まっていたが、そこに私たちは期待していなかったものを見つけた。
道の中に大きな丸い銅版のようなものが埋められていて、そこには「ザ・ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェルズ・メモリアル・ウォーク」の文字が読み取れた。
「ケンジントン宮殿にお住まいだったのかしら?」と、この短い生涯だった美しいプリンセスの事を痛ましく思い出した。
気が付くとメモリアルの文字に向かって自然に二人とも黙祷をささげていた。
ピーター・パンの像のところに着くまで暫し無言で歩いた。
婚約なさった時の若く無邪気な微笑と明るい瞳を思い出すと、それを損なったものを許せないような気がしていた。
だがピーター・パンはそんなことは知らぬげに、一段高いところからワンピースのような幼児服を着て笛を吹き、大人に成りたくない子どもたちを呼び寄せているかのようだった。若くして亡くなった人は皆トモロウ・ランドへ戻れるといいのにね。
湖畔で写生している多くの人の間を抜けてサーペンタイン池まで歩き、今度はアルバート公記念碑に向かって歩く。
妻であったヴィクトリア女王が気にいらなかったと言う記念碑はどんななんだろう?
名も知らぬ大きな木にライラックに似た房の白い花がいっぱい蝋燭のように立っている。その間を抜けていくとその大きな記念碑の後ろに出た。
「派手派手しい!としか確かに言えないわね。」
チャリング・クロスのような天辺に十字架の付いた塔の中に、沢山の大理石の白い群像に取り巻かれて黄金のアルバート公がいた。
女王が気に入らなかったのはその派手さのためだろうか、像の容貌だろうか?それともこれでもまだ公への思いにはもの足りないとでも?
そういえば以前、確かジュディ・デンチ扮するヴィクトリァ女王がアルバート公の死の悲しみからなかなか立ち直れないという粗筋の映画を見た覚えがある。
確かヴィクトリア女王だったと思うのだけど。
記念碑の前の道、ケンジントン・ロードを横切るとそこがアルバート・ホールで、ここにホームズが「隠居絵の具屋」ではカリーナという歌手の歌を聴きに行ったことになっている。

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〈写真 ロイヤル・アルバート・ホール〉

赤褐色の暖かい色の煉瓦の楕円形ホールで、私は煉瓦のこの色合いが大好きだ。
建物の高さ、色合い、屋根の縁を円くぐるっと取り巻くエトルリアの壷の絵を思わせるような装飾も好もしい。
この周りの建物群もあらかたがこの色合いの煉瓦で統一されていて、公園の緑を背景に気持ちの良い暖かな一角になっていた。
私たちはクィーンズ・ゲートから自然史博物館の横を通ってクロンウェル・ロードに出て、西へ向かう。
次の目的地は「ブルース・パディントン設計書」の現場、地下鉄サークル・ラインとディストリクト・ラインとピカデリー・ラインの三線が作る三角地帯だ。
地下鉄のオルドゲート駅近くで死体となって発見されたキャドガン・ウェストが殺されて地下鉄の屋根に乗せられたのはこの辺りだと想定されている。
「コールフィールド・ガーデンの家々の裏階段の窓は線路に面しているばかりではなく、もっとも大切なことは、本線の一つがこの辺で交差しているために、地下鉄の列車はまさにその箇所でしばしば数分間停車させられることがある。」
と言う正典の記述に従って、今ではもうこの辺りの地下鉄も文字通り地下になってしまって当時の様子は伺い知る事も出来ないのだが、この辺りを歩いてみようかということになったのだ。
地図上ではまさしく線路が交差していたし、この犯人のオーバースタインの家とされたコールフィールド・ガーデンと良く似た名前のガーデンがクロンウェル・ロードを挟んで北と南に一つづつあることも発見したので、なお更この辺に興味を引かれたのだ。
北側にはコンウォール・ガーデン、南側にはコートフィールド・ガーデンというのがある。似ているでしょう?特に南側のが。
どちらにしても私たちはケンジントン・チャーチ・ストリートまで行くつもりなのでちょっとした寄り道に過ぎない。
グロスター・ロード駅の先辺りで地図を広げて南が先で北に上っていこうと相談をしていたら、また声が掛かった。
近くの建物の内装工事をしていたおじさんが、タオルで首を拭いながら地図を覗き込んで「どこへ行くのか?」と聞いてくれたのだ。
「コートフィールド・ガーデンへ行くつもりだ。」と言うと、聞こえたのか近くにいたおばさんまで寄ってきて二人で色々言ってくれた。
だから感謝して、とりあえず二人の指し示す方向へ歩いていくことにした。
「本当に親切なんだよね。」バイバイ!にっこり!

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〈写真 コールフィールド・ガーデン?〉

コートフィールド・ガーデンの辺りもコンウォール・ガーデンのあたりも完全な住宅街で白い門柱を並べた白い建物がずーっと並んでいた。あんまり同じような建物ばかりなので自分の家も間違えてしまいそうだ。
正典に書かれているようにまさしくここは今でも「平らな正面に柱廊玄関の付いた家がずらりと建ち並んだ、ヴィクトリア朝中期の特に目立った産物である。」だった。
線路がやっぱり地下に入ってしまっているので、このどちらがより物語にふさわしいか判定するのは無理だった。こういう住宅地にスパイが住んでいて、しかも政府がそれを把握しているというのが、この穏やかな町並みにはなんだか似合わないようだった。
だが、町並みは殆ど変化していないのに、ホームズの時代からたかだか百年から百五十年の間になんと世界は複雑になったことだろう。子どもの時にははらはらどきどきして読んだホームズの世界が今はただ懐かしいだけではなく、穏やかで安全な世界のように思われるほど、現代は複雑怪奇で猛々しく不安に満ち、暗い。
切り裂きジャックも驚くような社会に私たちは生きているのだと、この整然とした綺麗な町並みで妙に実感してしまった。
この辺りで思ったより時間を食ってしまったので、グロスター・ロード駅からハイストリート・ケンジントン駅までひと駅地下鉄に乗ってしまおうかと思ったのだが、行ってみるとなんと地下鉄はスト。
駅はシャッターが降りていた。
この辺りのグロスター街で泥棒道具一式を抱えてくるワトソンをホームズはイタリア風レストラン、ゴルディニで待ち構えていたのだ。そう思った途端、ちょっとお腹がすいてきたので、ここからタクシーでケンジントン・チャーチ街まで行ってしまうことにした。
日本だったら運転手さんに「近くて悪いけれど・・」という距離だけれど。
タクシーはグロスター街を真っ直ぐ抜けてケンジントン・ロードへ折れケンジントン・チャーチ街の入り口で止った。チップを入れても四ポンドの距離。
「空家事件」で変装したホームズはここで古本屋をやっているとワトソンに語っている。そしてその当時ワトソンもこの近くに住んでいたはずなのだ。
「私はご近所におるものでして、チャーチ街の角に小さな本屋の店を出していますから。」と語った後で、あの劇的な、死ぬほどワトソンを驚かせた対面があるのだ。
「ですからして、おろそかには出来んでしょう!この通りは。」
チャーチ街は緩やかなカーブとゆるいのぼり坂の通りだった。
角にもどこにも本屋はないものの、骨董の店が何軒か軒を連ね、そこそこの商店街だった。ぶらぶらと坂を上り下り、道を味わうという感じ。
道の途中で折れて、ケンジントン宮殿を見て、それからその並びにあるオランジェリーで昼食を取るつもり。
彼女のお嬢さんの友達からの情報で「ケンジントンへ行くなら是非そこへ。」と聞いている。
「若い人好みのおしゃれなレストランらしいわよ。」
「ま、ヴイクトリア朝から少し離れるのもいいかもね、気分転換に。」
なんてわざわざ自分に断るほど、ホームズにどっぷりの旅をしていると言う気分が嬉しい。それなら何でさっきのグロスター街で「ゴルディニ」みたいなイタリアン・レストランを探さなかったのかなんて言わないで。
私たち根っからのミーハーでもあるのです。グロスター街近辺にはレストランが沢山あったので、探せばゴルデニィはともかくイタリア風レストランは見付かったのでしょうが。
写真で見ている通りに金色の唐草模様や獅子の装飾のある繊細な門の向こうに宮殿があった。目指すオランジェリーはその並びにあって赤煉瓦に白の窓枠が映える横長の綺麗な平屋の建物だった。
高い天井、大きな縦長の明るい窓、中も真っ白で本当にお嬢さんのお昼にどうぞ!という感じの清潔で居心地のよい店。
ここでも感じのよい応対を受けたので、結局は気分良くデザートまでゆっくりしてしまった。
今回の旅は毎日お昼にとてもいい時間が過ごせたので、夜遅くまでしっかり歩けたのかも知れない。
私の後ろにイギリス人のお嬢さんが一人で食事をしていて、その人が余りに美しいので、彼女は何とかして写真に撮らせてもらいたいと、私にあっちへかがめ、こっちに寄れと指図していたのが少々うるさかったけれど、振り返って何気なく見てみたら本当に美しい人で、納得。
ヴァイオレット・ハンター嬢はこんな感じ?
さ、午後はロンドンの東側「シティ」探索だ。
公園を突っ切り、クィーンズ・ウェイから地下鉄でと思っていたのだがストで地下鉄が使えないのでバスで行くことにした。
丁度クィーンズ・ウェイの辺りにきたら、トラファルガー行きのバスが来たのでそれに乗車、トラファラルガーで下車してリバプール・ストリート駅行きのバスに乗り換える。
「急いでいる時はともかくやっぱり旅はバスね。道が見えるもの。大体ホームズは地下鉄が嫌いだったのよ、余り乗っていないものね。」
「そうよね、これが現代の乗合馬車だものね。終点まで行くのだから、二階に行って町を見下ろしましょうよ。」
そういえば地下鉄は何度か使ったけれど今回始めてのバス利用だった。
リバプール・ストリート駅は1874年に作られホームズの活躍期の1891年に拡張されたゴシックの建物で、グレート・イースタン鉄道の始発駅だ。
「グロリァ・スコット号」や「踊る人形」ではノーフォークまでここから出かけているし、ワトソンは「隠居絵の具屋」でリトル・バーリントンまで行かされている。
多分今回見た駅の中で一番見た目がステキ?だったのはこの駅かも知れない。
丁度工事中であちこちカバーが掛かっていたり、回り道を強いられたりしたのが残念だったけれど、見える限りではそう思えた。
中へ入ってしまえばホームの感じはやっぱり他の駅と同じだったけれど、こんな雰囲気のある駅は日本にはないなぁ。
ここからはバスで通り過ぎてきた幾つもの通りを歩き回らなくちゃ。
バスの中から正典で覚えた街路名が幾つも通り過ぎていくのをわくわくしながら確認していたのだ。
まずリバプール・ストリート駅からビショップス・ゲートに出る。
「四つの署名」の中でホームズはアセルニ・ジョーンズ警部とここで発生した宝石事件を捜査したことがあると言っている。
この道を真っ直ぐ道なりに行くとそれがスレッドニードル街になり、その通りにある証券取引所を過ぎるとイングランド銀行の大きな建物が見えてきた。
「唇の捩れた男」のヒュー・ブーンがここに陣取って乞食をしていたところである。
この銀行の建物の一部へこんだところが丁度乞食が座り込むのによさそうだねと、写真に撮って帰ったら、
「一体何を撮ったのだ?」と写真を見た皆に怪訝がられた。
何しろおあつらえ向きにそこにはダンボールまでが転がっていたのだもの。
銀行さんがしゃれっ気でヒュー・ブーンの席を確保してあるんだって?まさか。
「緑柱石の宝冠」のホールダー・アンド・スティーヴンソン銀行もこの通りにあった事になっており、スコットランド銀行もあったし、シティはまさしく当時から経済の要だったのだと、向かいにある旧王立取引所の重々しいねずみ色の建物を眺めながら思った。
マンションハウスを横目にイングランド銀行を迂回してスロッグモートン街へ行く。
イングランド銀行の風格のあること!
「白面の兵士」に出てくる株のブローカー、ジェームズ・ドッドの事務所はこの通りにあった。証券取引所も見えて株屋さんには絶好の場所である。
こうやって歩いてみると本当に物語の背景が生きて立ち上がってくるようだ。
いかにもサラリーマンという人たちが忙しそうに早足で私たちを追い越していった。
仕事の邪魔をしているようで、私たちも知らず知らず足早になって、一つ南の「株式仲買人」のモースン・ウィリアム商会があったロンバード街や「花婿失踪事件」のホズマー・エンジェルが会計士をしているといっていた会社のあるレドンホール街をせわしない気分で通り抜けた。まさしく商業のロンドン?
「六つのナポレオン」でホームズが馬車でロンドンを駆け抜けるところがある。
「(ケニントン街のモース・ハドソンの店を出発して)流行のロンドン、ホテルのロンドン、演劇のロンドン、文学のロンドン、商業のロンドン、そして最後に海運のロンドン」と走りステップニー区のゲルダー商会まで。
流行のロンドンはどこ?ボンド街、リージェント街?ピカデリー周辺?ジャーミン・ストリートやセント・ジェームズ街、バーリントン・アーケード、セヴィル・ロウのある辺りかしら?
ホテルのロンドンは?ノーサンバーランド周辺?それとも午前中に通ったケンジントン北側のベイズウォーター辺りかしら?メイフェアにも多かった気がするし…。
演劇のロンドンはヘイマーケット辺りからコベント・ガーデン辺り、シャフツベリー街に沿った辺り?これは当たりじゃないかしら。
さて、文学のロンドンってどこだろう?彼にとってはストランドかしら?新聞社の多かったフリート街は文学とは言わないわね?ディッケンズの下町?フリート街を入ったところにサミュエル・ジョンソンの家があるけれど?「文学のロンドン」は余りに漠然としていて私には分からない。
シティは「商業のロンドン」といっていいのだろうか?「経済の」といった方がしっくりするような気がする。
その時の目的地ステップニー区はロンドン塔よりさらに川下のテムズが大きく蛇行している辺りで、多分そこには昔からドッグが多かったのだろう。
ケニントンからそこへ行くのならテムズの南側をつっ走って、ロンドン橋かタワーブリッジを渡った方が早そうなのに、書いてある通りのロンドンを通り抜けたのなら、ずいぶん迂回したことになるのではないかなぁ?
多分この様々な「ロンドン」はテムズ川に沿った北側の現在賑やかな通りをイメージすればよいのだろうなどと考えていた。
それならホームズの当時でもきっと馬車で駆け抜けられる広い道が出来ていたことだろう。
チープサイドに出るとようやく落ち着いて歩くことが出来た。この通りはホームズには関係ないが、ドリトル先生でおなじみの雀のチープサイドで知っている。
懐かしいような名前だったし、ニューゲート監獄のあったオールド・ベイリへ続く道でもある。
ここにはコックニー訛りで知られるロンドンっ子の象徴セント・メアリ・ル・ボウ教会もある。雀のチープサイドの話す英語ってどんなだろう?東京で言えば深川っ子か浅草っ子の言葉?
セント・メアリ・ル・ボウ教会の塔は思ったより細身で鐘はその天辺にあるのだろうか?その鐘の音が聞こえるところで生まれた人が生粋のロンドンっ子だという。塔の大きさからして小さな鐘だと思うけれど、どの辺まで聞こえたものだろうか?
教会を過ぎるとセント・ポール大聖堂の大きなドーム型の屋根が見えてきた。この大聖堂は1710年の完成で、「四つの署名」で警察のランチに乗ったホームズたちがオーロラ号の追跡にかかる時「シティを離れる間際に振り返るとセント・ポール寺院の頂の十字架の上に夕日がまぶしく照り映えているのが見えた。」と印象的な記述がある所だ。
この一行でロンドンに迫る夕闇の中への追跡行が緊迫感を持ってくるのだ。
この寺院からチープサイドを隔てて反対側に伸びているのがキング・エドワード街で、17番地には別名ダンカン・ロスのウィリアム・モリスの事務所があることになっている。もっとも赤毛のジェイベズ・ウィルソンが尋ねていっても実際には無かったのだが。だから私たちも尋ねていく面倒はかけなかった。だってその隣にはセント・バーソロミュー病院が建っているのだから。
1123年設立の慈善病院で、通称バーツと正典にあるこの病院の化学実験室でホームズとワトソンはスタンフォード青年によって初めて引き合わされたのだった。
「そしてすべてが始まった!」と我々は病院へ入る道で握手した。
ここの病理研究室に「アフガニスタンに居られましたね」というプレートがあるそうだが、残念ながら私たちではそこまで行けない。
「ヘンリー7世門から入った入院患者用の売店に絵葉書とかマグカップとかのお土産品があるって何かで読んだわ。」
「シャーロック・ホームズ・ミュージアムでもたいしたお土産無いんだからさ。病院が分かればいいわよ。」
盛り上がった気分は尻つぼみの感が。
しかしこの通りはまだ私たちを放さない。
この辺りはもうチープサイドではなくニューゲート街になっておりバーソロミュー病院と道を挟んで反対側にはあのニューゲート監獄の跡地が残っているのだ。
現在は中央刑事裁判所になっている。

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〈写真 ニューゲート監獄跡〉

オールド・ベイリ街とニューゲートの東南の角にあって、元の監獄の古煉瓦の壁が残っているそうだ。
「三人ガリデブ」にニューゲート監獄歴報というのが出てくるがホームズによって捕らえられた者がどの位入ったことだろう?
何しろ語られなかった事件がまだまだいっぱいあるのだから。
「SITE OF NEWGATE DEMOLISHED 1777」と書かれたプレートの前で写真を撮ってもらった。
「監獄の前でこんな笑顔を見せるのってあんたぐらいだね。」と私を写真に収めた彼女が言った。
でも帰って見てみたらパソコンの画面にもっと満面の笑顔の彼女がいた。全く何をおっしゃいますことか!
このニューゲート街をそのまま行くと道は高架橋になっていて、これがホルボーン・ヴァイアダクト(陸橋)だ。下を走っているのがファリンドン街で「赤毛連盟」でホームズたちはこの通りを通って、「シティ・アンド・サバーバン銀行コバーグ支店へ行ったのだから、私たちもこの高架橋から降りてその道に出ることにした。
それにしてもこの高架橋はヴィクトリア女王が開通式に出られたそうだから、百年以上も前に出来ているのだ。まさしく記念すべき凄い大工事だったのだろう。
真っ赤な橋に金の装飾、橋の上の街路灯は金色の二頭の龍が支えているし、ヴィクトリア女王か女神か分からないけれど女性像や羽のある獅子などの彫像が置かれた華やかな橋だ。そこを渡って向こう側の螺旋階段を下りると目指すファリンドン街。
見上げると高架橋の高さに改めて驚かされる。立派なものだ。
ファリンドン街をフリート街まで歩く。「入院患者」のパーシー・トレヴィリアンが事件依頼に来た時ホームズとワトソンはたしかこのフリート街からストランドにかけて散歩してきたところだった。
三時間ばかりかけて彼らはこの通りで人間観察と会話を楽しんだのだ。
だから「私たちも!」といっても、我らは人間観察なんかではなく文字通りの散歩、街路観察を楽しもうって寸法。
「赤毛連盟」の事務所はフリート街・ポープス・コートにあったが私たちはここでポッピング・コートと言うのを見つけた。
「ちょっとそれらしいじゃありませんか!」と寄り道。
そして「ジ・オールド・チェシャ・チーズ」の看板にもふらふら。
いかにも古いんですもの、店構えも、看板も、1667年リビュルド(再建)と書かれた入り口の脇の歴代皇室年鑑?も。
残念ながら店は開いていなかったから覗けなかった。
その通りには矢印がいっぱいあってどれも「ドクター・ジョンソンズ・ハウス」の表示が。
「サミュエル・ジョンソンさんがイギリスで偉大なことが良く分かるね。」などと言いながら、表示に従って寄り道。過ってジョンソンさんが住んでいた建物は、小さなレーンをくねくね行った奥の黒い煉瓦に鮮やかな白枠の窓、その縁取りの赤レンガが印象的だった。
明日行くつもりのテンプルの入り口を確認したらトワイニングに寄って…と思っていたのにテンプルの入り口の直ぐ横のトワイニングはもう閉まっていた。
「王様商売だね、四時四十五分までだなんて営業時間の短いこと。」
「お土産にレディ・グレイを買い込もうと思っていたのに。」
フリート街の真ん中に建つテンプル・バーを見ると、条件反射みたいにディッケンズを思い出す。何か昔読んだものにきっかけがあると思うのだが、それが何なのかもう記憶の底を辿っても思い出せない。テンプル・バーの他にもこの通りには興味惹かれるものが連なっている。
このテンプルをはじめ王立裁判所の見事な建物、セント・クレメント・デーンズ教会、セント・メアリ・ストランド教会、そしてコートールド・ギャラリーのあるサマセット・ハウス。
ここでウエリントン街を通り越せばもうすっかりおなじみになった感のあるストランド。シンプソンズやアデルフィ・シアターの前を通るとあの中に入ったのがもう大昔のような気がする。
毎日が盛りだくさんに充実していた証だろうか?
お馴染みになった通りの散歩は余裕すらあって心地良くもある。ナショナル・ギャラリーまで一気に歩いた。
まだギャラリーは開いていた。
「ここにフェルメールの絵があるわよね?私まだ本物見たことが無いんだけど寄っていい?」という彼女の言葉に大賛成の私。
前回のロンドン旅行は美術館巡りが主題だったので、毎日絵ばかり見ていたら、なぜか「皆が皆で印象をうすめあってくれた!」という感じで、感激が薄らいだ気がしたのだ。損したような?
今回はウォリス美術館だけだし、あれは目的がちょっと違ったし、純粋に絵を見たいと思って見るのはこれだけになりそうなので、かえって集中できる気がした。イーストウィングにまっしぐらに進み、目的のフェルメールに到達。フェルメールのヴァージナル」の小品の前で暫し沈黙の時。
帰ってから「ちょっとだけ寄った。」と報告したら、先回同行した絵の知識の豊富な友人がフェルメールにはヴーァジナルの絵が4点あると教えてくれた。「合奏」「ヴァージナルの前に立つ女」「ヴァージナルの前に座る女」「音楽のレッスン」だそうだ。
その一つは丁度この頃売りに出て、32億円とかで落札されたと聞く。タイムリーな?訪問だったかも。
ホームズだってこの絵の値段は当てられないだろうね。少しお腹がすいてきたのでギャラリー内のカフェで軽食を取り夕飯代わりにすることにした。水を飲みながら歩き回っているからか余りお腹がすかない。旅の終りに少しのダイエットなんていう副産物があったら嬉しいな。・・・ンナわけないか!
ようやく暮れたロンドンの町をトラファルガー広場からボンド街までバスに揺られて、ロンドンでの最後の夜を締めくくった。今夜は荷造りしなければならない。

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