「赤毛のアン」紀行⑥
5日目 アヴォンリー!
人口約13万のこの島での2日目。
モードの頃はどのくらいの人口があったのだろう?6:30 起床 8:00の朝食までお化けの森を散歩。
モードのお墓のあるCavendish Cemetery(共同墓地)が見渡せる処まで行って、
国道ルート6に出て国道から宿に入る小道まで歩く。
道の脇にはお土産やさんや民宿の様な可愛い宿が何軒か並んでいる。
8:00 荷物を部屋の外に出して朝食へ。可愛らしい食堂、花柄の壁紙も、大きな暖炉も、可愛い食器でいっぱいの食器棚も素敵。
窓際のテーブルについて、ミルク、コーヒー、菓子パン、果物等の朝食を頂く。
9:00 バスに乗って、目と鼻のグリーン・ゲーブルス・ハウスへ。モードの祖父の従兄の家、
19世紀末の農家の様子そのままに再現してある。台所、居間、客間、アン、マリラ、マシューの部屋。
まるで物語は現実だったかのように按配されて・・・。二階の奥には雇い人の部屋、家事室も。「役にたたないフランス人小僧のジェリー」
の部屋かしら?
家にはやはり風呂もトイレも無く、後で家の外にあるトイレと井戸を見た時には、食事やお菓子作り、牛追い、
果樹の取り入れくらいの労働しか物語の中には出てこないけれど、現実にこの物語のかげに有る生活の厳しさに思いが至った。
雪深い冬の事を思ってもご覧なさい。
アンの部屋にはあのマシューの膨らんだ袖の茶色のワンピースがかかっているし、
マシューの部屋には少女たちに出会いそうになって慌てて抱えて隠れたブーツとブーツ脱ぎが有るし、
マリラの部屋にはかの黒いレースのショールが有るし…物語がどんどん頭の中に紡ぎ出されてくる。
どの部屋にも陶器のきれいな洗面セット。それにしてもシンプルライフだ。
持ち物は本当にあんな長持ちとか小さなたんすに納まったのかしら? 「物が少ないってなんて良い事なのかしら。」
なんてツイ思ってしまったのは、不覚にも我が家のごちゃごちゃに詰まった押入れや箪笥を思い出してしまったからよ。
アンの部屋はアンがこの家に貰われて来たときのものでは無く、夢見る少女になった時のものだから優しく暖かくて、窓の外のスノー・
クイーンももうないのだ…と変な納得。
外の納屋の一角にはアイスクリーム屋ができていて,素朴なしっかりとしたアイスクリーム(8種類くらいあった)を売っている。
朝食べたばかりでお腹いっぱいなのに、2度と来れないんだからと自分にいいわけをして、
当時のいでたちの売り子さんと記念撮影もさせてもらって、しっかりダブルで食べちゃった。バニラとチョコチップ。
マシューの納屋の前の日だまりで風に吹かれて食べたアイスは本当においしかった。わくわくしながらチョコレートを食べる物語も確かあったわ。
続いてキャベンディッシュの共同墓地へ。
1942年トロントのリバーサイド・ドライブの旅路の果て荘で亡くなったモードの墓はここに有る。
マクドナルドと墓碑銘のあるお墓には赤い花が植えられていた。ここは常に花が絶えないと言う。墓地の入り口にはラステイング・プレース・L・
M・モンゴメリーと記されたアーチがあった。
ついで、ルート13を渡るとすぐ グリーン・ゲーブルス郵便局。モードの祖父が亡くなるとモードが後を引き継いだ郵便局だ。
元々はもう少し離れたところにあったキッチンと郵便局を再現したもので、モードはここのキッチンで創作に励んだものだったのだ。
ここは夏の間営業していてここで葉書を出すと、グリーンゲイブルスの消印を押してくれる。
窓口に可愛い青年がいてにこやかに対応してくれたので?記念にここの絵葉書とエミリーのコインを買い求める。
「今出せなかった人は明日ガイドさんに預ければここから出して貰えますよ。」と添乗員さんが言ってくれたので、
絵葉書が足りなくなって書けなかった他の友達にもここの葉書で今夜書いてお願いしよう。よかった!
郵便局の後ろには小さなキャベンディッシュ・チャーチがあって、モードはここで日曜学校も教え、後に夫となったユーアン・
マクドナルドにも出会ったのだという。
11:30 バスに乗りノース・ラスティコ方面へ向かう。途中プリザーブ・カンパニー(ジャム工房)に寄る。沢山の種類のジャムが壁を埋め、
ハーブティや紅茶の種類も豊富。可愛い包装、可愛い店構え…全部がお土産に最高よと言っているみたい。
とても可愛い子供を二人連れたお母さんがいたので、声をかけて写真を撮らせて貰っているうちに時間が無くなり、大急ぎでジャムを一つ買う。
それにしてもなんで外人の子供はこんなに可愛いのだろう?真っ白な肌、金色の髪…恥ずかしかったのかより可愛かった?
お兄ちゃんは恥ずかしがって顔を隠してしまった。残念!もう一つ残念!買ってきたジャムはとてもおいしくて、
後でもっと買って置けばよかったと後悔しきり。私が買ったのは、ガイドさんお薦めの Very Berrieysだったっけかな。
ダイアナがアンと共にアトッサおばさんに届けたルーバーブのゼリーを覚えていますか?ルーバーブのジャムもあって、
あの猛烈なアトッサおばさんを思い出させるような年配の売り子さんが売っているんだもの、思わず微笑してしまった。
12:30 お昼はノース・ラスティコ村(ホワイトサンドのモデルだといわれている)のレストラン、フィッシャーマンズ・
ワーフでロブスター・ランチ。丸まる一匹があっと言う間にお腹へ。後で写真を撮らなかったのが悔やまれた。昨日の夜も忘れたのだもの。
アヴォンリーがキャベンディッシュをモデルにしている事は良く知られている.私が調べた限りでは物語に出てくる色々な処にモデルがある、
例えばグリーンゲイブルスそのものはデイビッドとマーガレット・マクネールの家がモデルで、デイビッドはモードの祖父の従兄になる。
だけど庭の描写、回りの状況は実際とは異なる。
リンド夫人の家は祖父の従兄、パース・マクネールの家がモデル。
歓喜の白路は純粋な想像から生まれたものだけど、日記にケンジントン~クリントンの間の僅かな道筋が本当にきれいだと思ったと書かれている。
ヴィクトリア島は学校の小川の近くに実際あった島。お化けの森は実際デイブとウエルのネルソン兄弟と遊んだ出来事が使われたものだ。
輝く湖水はマクネイル祖父の家から13マイル離れたパークコーナーにあるモンゴメリお祖父さんとジョン・
キャンベル叔父が住んでいた家の横にあり、この家はシルバーブッシュのモデルになっている。
今はこの輝く湖水を見下ろせるその場所で赤毛のアン博物館、工芸店、ティルームとして営業している。
モードの生まれたニュー・ロンドンの家は、アンが私の家と言って物語の中で言葉で描いて見せた家のモデルになっている。
白樺の道は「アウティング」と言う雑誌に乗った写真からヒントを得たもので、アメリカのどこかのものらしい。ウイロウミア、
ヴィオラ谷は想像から生まれたとモードは書いている。
その他、地名としてはブライト・リヴァはハンター・リヴァだし、カーモディはスタンリー村がモデルだ。ホワイトサンドはノース・
ラスティコ村。ニューブリッジはニューグラスゴーとスタンリーブリッジを合わせて命名したものか?
ホープタウンの孤児院はハリファックスのダートマス地域にあったものがモデルらしいし、クイーン学園はシャーロットタウンのプリンス・オブ・
ウエールズ・カレッジ、そして勿論レドモンドは私たちがすでに見てきたハリファックスのダルハウジー大学。
街道の方は良く分からなかったけれどキャベンディッシュを通る国道はルート6とルート13。ハンター・リバーから来るのがルート13。
ケンジントンから来るのがルート6。ルート6がカーモディ街道という事になるのかな?その他、
見たいなぁと思うのはシャーロットタウンにある筈のミス・ジョセフイン・バーリーの樅の木屋敷、アンの夢の家、炉辺荘なんだけど…
こんな風に色々な本を読んで色々な事を知ってしまうと、この旅の物足りなさが益々悲しくなってくるようだ。
この村全部をゆっくり歩いてみたいなぁ。
読み漁ったどの本かにアヴォンリーAvonleaはアーサー王の死んだ地とされるAvalonにちなむ命名かシェークスピアの故郷のAvon河の風下Leeか草原Leaをつけた造語かもというような事が書いてあった。
こんな事を読むと、子供の頃少年少女文学全集で読んだ「アーサー王と円卓の騎士」とかラムの「シェークスピア物語」
等が思いだされて懐かしくなる。と、同時にモードもこのような小説を読んだんだという親近感が湧いてきて、
私もモードのように高校生の頃シェークスピアを随分読んだ事など思い出した。
昨年、友人とロンドン旅行をした時には足を伸ばして、シェークスピアの故郷、ストラトフォード・アポン・エイボンを訪ねている。
その時はまだこのエイボン(Avon)がアヴォンリーに繋がるとは思ってもいなかったのだけど、エイボン川のほとりで、私は
「アンは(モードは)シェークスピアをよく読んでいたなぁ、それで私もシェークスピアに親しむようになったんだ。」と思いにふけったのだ。
村岡さんの訳に「ディッケンズより」とか「聖書の○○より」とか注釈がついているのを読んで、
ディッケンズや聖書を読んだ人は私だけではないだろう。子供の頃の私の読書の傾向はモードによって大きく影響されたものだった。
このようにこの島を訪れる多くのアンファンは多かれ少なかれ私の様な経験をしてきたのだろう。
そう思うと今同行している皆さんに不思議な親しさを感じてしまう。
ただのツァー観光の同行者よりもこのグリーンゲイブルスの回りを三々五々さ迷っている同行の人々にズーット連帯感を感じてしまうのだ。
すっかり旅行記が脱線してしまった。
午後の観光はノース・ラスティコ村の可愛い燈台から。 PEIも、ノバスコシアも燈台は皆白い。少なくとも今回の旅で見た燈台は皆白だった。
その白に屋上、ベランダ風の回廊、窓、ドア、付属の小屋の屋根とか一部だけに赤をあしらってある。それが又とても可愛い。ここノース・
ラスティコの灯台はその中でも屋根と窓枠の赤がとても愛らしくてひときわ気に入った。
ここからキャベンデイッシュ・ビーチへ。岩と荒々しく波に削られた赤い土の海岸と砂浜。もう少し熱くなれば水遊びする人々で賑わうという。
北海道と同じで、短い夏を謳歌するのだろう。この水辺へ下りたところで、
今日の様な強風のときにアンはレスリーに波打ち際でくるくる踊っているところを見られたのだろうか?丁度そんな風な岩棚と砂浜だ。
海辺に寄ると激しい風が赤い浜を洗っている。ガイドさんはここはたいてい風が強いと言う。
ここへ来る道筋は暖かい穏やかな初夏の陽射しを楽しんでいたのに、海岸は思わぬ風で、
まるで夢の家へ行けない私たちの為にあの印象的な場面を体感させてくれたみたい。
アンを読んでいてアヴォンリーに海を感じる事は余りなかったのだけれど、
今回丁寧に読み返してみたら海の轟が背景に書き込まれている事に気がついた。
モードが短編によく書く海に囚われて海の近くでしか生きられない人々の話も、こんな個性的で印象深い海の近くで育ったのなら…
こんな海岸の波音としぶきの中で育まれたのなら、「あー、モード自身の中にこの海が染み込んでいたのだものなぁ!」と納得の思いだった。
「渚の求婚」の中の物語やフォァ・ウインズの心の中に残る描写もここから生まれたんだと。
私たちが訪れたのは赤い海岸に白い波頭が割れて轟く日だったから…
ここからニュー・ロンドンにあるモードの生家への途中でノース・ラスティコ村在住のガイドさんは「私の取って置きのお花畑をお見せします。
もう少し遅いんじゃないかと心配なんですけれど…」と途中下車したのは椴松の様な木々の林に囲まれた隠れ庭。ルピナスが一面見渡す限り。
確かに少し遅くて1週間前だったら本当に壮観だっただろう。北海道のルピナスは殆ど園芸種になっているからだろうか、
ズーット大きくて色ももっと華やかに鮮やかだけど、
ここのは原生種なのか色合いも単純素朴でたおやかな感じが可憐で親しみやすい花園なのがいい。
個人のお庭なのだそうだけど、見に来る人もいない。花の間から小さな湖面が光っているのが見えて、「あーここにもシャイニング・
ウオーターがあるわ…!」
ヘスター・グレイの庭とは全然趣は違うけれど、アンたちのあのピクニックの日みたいに不意に紛れ込んだらどんな嬉しい驚きだっただろうか?
ニュー・ロンドンのアンの生家も、モードがいた当時のままを再現していて、家の玄関脇にL・M・モンゴメリー・バース・
プレイスの札が張ってある。白のペンキ塗りの、窓枠や柱、ドア等は緑の小さな家で、モードのウエディング・ドレスが展示されている。
なぜか写真OKなのに撮っていないのは大失敗だった。彼女のゆりかごやモードの母のベッドなんかは撮ってきたのに。
モードの性格に触れられるような几帳面な様々なものがスクラップされているノート等を見た。
このノートの中の色々なものに触発されてあの沢山の物語が生まれたのだからファンに取っては御神体の様なものだって言うのは言い過ぎかしら?
「いいえ!」
その後で、向かいのメモリーというお土産屋さんに寄る。友達にピッタリ、
喜んでもらえそうなPEIの花と鳥のとてもきれいなカレンダーを買う。それを見た方が何人かやはり欲しいと言ったのだけど私のが最後だった。
ここから輝く湖水のあるパーク・コーナーへ行く途中、フレンチ・リバーで写真ストップ。 PEIでも屈指の写真ポイントと言う事で、
のどかな風光明媚な川岸。澄んだ水の底がやはり赤土で、真っ青な空の下で、不思議な色を見せている。草原と林、畑そして点在する小さな家々
(と言っても実際に小さいわけではなくそう見えるだけなのだが)を背景に初めて見るような暖かな色合いの水辺だった。
そこからすぐのところに輝く湖水のモデルになったキャンベル湖があった。
とてもよい天気だったのに、丁度ここへ着いた時に陽が陰って、輝いてくれず、ただゆったりとした丘と窪地の間の池というだけだった。
この池はすぐ道路を隔てた向こう側の低い丘の上にある、グリーン・ゲイブルス・
ミュージアムと看板の出ているキャンベル家の敷地内にあってモードの親戚が今も住んでいる。モードのお気に入りの家で、シルバー・
ブッシュのモデルにもなった家である。
しかし現在、PEIには果樹園は無くなっているので、この家も裏に果樹園もシルバー・ブッシュも背負っていない。
低い丘の上にただ裸で淋しく建っているだけだ。今日は人っ子一人いなくて、
アンがアイスクリームを初めて食べたあの素晴らしいピクニックの日の様子の片鱗をも窺い知る事は出来ない静けさだった。
見渡す限りのこの野に私たちのバスと我々だけしか動くものはない。寄れるものと思ったシルバー・
ブッシュは寄らずにバスは通り過ぎてしまった。後でなぜ寄らなかったのかと添乗員さんに聞くと、「行ってもたいした物はないんですよ。
以前には行った事もあるんですけれど好評じゃなかったので削る事になったんです。」とのことだった。
それでもここは1911年にモードがマクドナルド牧師と結婚式を挙げた家でもあるので、「ファンとしては立ち寄りたいところだったねぇ。」
と何人もの人がつぶやいていた。
それにもう一つ近くにモンゴメリー・ヘリテイジ博物館というのがあって、ここはモードの父方の祖父の家で、
炉辺荘のモデルになったという建物で、写真で見るとちっとも可愛くないんだけどマゴグがあるのに、ここも通り過ぎてしまった。
それにしてもゴグとマゴグを写真で見るとどうしてこれがあんなに可愛いと書けるんだろうと思ってしまう。
このあたりの感覚はモードと感覚が違うのかもしれないなぁ…お土産やにはゴグとマゴグの人形がいっぱいあるのに、
このアンフリークの人々の中の誰も買わなかったもの。それはそれとしてやっぱりここまで来ているのにと思うと無念!残念!
そう言えば、フレンチ・リバーで停まったのにバスは夢の家も通過してしまったので、この日は夜になってホテルの部屋で二人で、
ガッカリ二重奏だったのだ。「やっぱり個人旅行じゃ無ければ満足のいく旅は出来るはずがないよ!」
と旅の始めからわかっていた結論をどちらかが口にしてけりは付けるのだけれど。それにもう一つ帰ってから知って、残念だった事が。本で
「グリーン・
ゲイブルス農場を中心とする国立公園構想に半信半疑だったモードもドライアドの泉の水を飲みたいと思う人々のために樺の木の枝にカップが一つかけられているのを見つけて、
喜びに満たされたのだ。」と言う個所を見つけた事だ。ドライアドの泉はどこにあったのかしら?前に何かで見た「干上がってしまった。」
という記事はドライアドの泉の事だったかしら?
パーク・コーナーからルート101を南に下ってケンジントン駅舎へ。
アンがクイーン学園への往復に利用したPEIの鉄道は今すべて廃線となって、島に幾つかの駅舎だけが残っている。
アンがマシューを待っていたブライト・リバーのモデルですとガイドさんは言ったけれど、本から想像するよりはるかに立派な石造りの建物で、
映画に使われたエルミラ駅の方がイメージに近い様だ。
今はこのケンジントン駅は夏だけのインフオメーションセンターとギフトショップになっていて賑わっていた。
アンが迎えの人が来なかったら一夜の宿にしようと思っていた桜の大木も当然見当たらない。
皆さんがお土産やさんにいる間に駅の回りをぐるっと回ってみた。写真集で見たエルミラの駅舎は木造の小さなもので、
一日に数本の汽車を見送るだけの駅長がいかにも昼食を取りに駅に鍵をかけて家に帰っていくと言う風情があったけれど…。
でもアンは「石造りのうずくまった様な家が好き。」と言っていたから、この駅は好きだったかもしれないなんて思っていた。
17:00 ホテルに到着。デルタ・プリンス・エドワード・ホテル417号室が今夜の私たちの寝床。
20:00からコンフェデレーション・センターでミュージカル「赤毛のアン」を見るので夕食は早めと言う事で 18:
30ホテル内のレストラン集合という事だった。「着替えて行くべきかしら?」と言ったら「時間がもったいないよ。服の注意はなかったもん。
このままでいいよ。それより、散歩散歩。」で、ホテルの周辺から海岸までを散歩して食堂へ行ったら、
皆さんドレスアップして美しくなっていた。アチャー!
118:30夕食開始。スープとサラダが出たきりメーンディシュが出てこない。 7時になり、7時半になり… 「間に合わないんじゃない?」
という声があちこちで上がりはじめてやっと、添乗員が立ち上がって問い合わせに行った。
「オーブンだかロースターだかが調子悪いようなので…もうすぐ出ますから…」やっと出てきたと思ったら、リブ・ステーキのはず?だけど…
というひどいお肉で殆どの方が食べられず。「ケーキとコーヒーが付くはずなのですけれどもう時間がありませんので、
残りは帰ってからのお楽しみと言う事にしてでかけましょう。」という悲しい夕食になった。
18:10 すぐ目と花の先のコンフェデレーション・センターへ。舞台を半円形に取り囲む形の劇場で、Uの字型に席が繋がっているので、
入るのも出るのも座った人の足元を「エクスキューズ・ミー」のオンパレードでしか通れない。縦の通路が一本もないのだもの。
何かあったら危険だなぁ。それでもほぼ満員になって、しかもあちこちに日本人が!途中ではどこでも他の日本人に会っていないのに、
どこから湧いてきたのだろう?やっぱり日本人の観光客が多い島なのだと、実感!ちなみに、
旅行者は今は圧倒的にゴルフか釣りをするアメリカ人が多いらしい。そのせいか、
この劇の観客も殆どはTシャツのいかにもくつろいだアメリカ人らしき人が多かった。
当然全部英語で筋は分かっていても一言毎に笑える訳でも、歌の歌詞で笑える訳でもない。ようやくしぐさと、推理力で笑っている私。
なのに私の後ろの日本女性2人は他のどの観客より早く大声で笑い続けていた。英語が堪能で二人旅なのだろうか?羨ましい限りだ。
私はその二人の大声の笑いにたびたび「ハッ!」としたのは、どうやら時々睡魔に魅入られていたらしい。ここに座ったとたん、
ここ数日の疲れがいっきに出てしまったみたい。もったいない事、情けない事と思ってみてもどうにもならなかった。
ここまではバスの中でも少したりとも寝たりしなかったのに!だから堂々と「このミュージカル素敵だったわ。」とは言えやしない。
もちろん俳優達は皆大人で11歳のアンをやるには可愛くなさ過ぎ(失礼)だし、イメージも違うし、無理がね?でも、ガイドさんの話では
「ここ何代かのアンの中では一番評判はいいのですよ。」とのことだった。
10:30 ホテルに帰ってきたら「お茶を飲みたい方はどうぞ!」とレストランの奥にケーキとお茶が用意されていた。
夜の早い相棒は「寝る!」と言って部屋へ戻ったけれど、10人ほどの人が残って、夜遅いお茶を感想と共に戴いた。
私も小さなケーキを3つばかりと紅茶を戴いて12時過ぎに部屋へ上がったら、風呂も済ませた彼女はすでに熟睡していた。
本当に旅の達人なんだから!
風呂に入ってから、明日ガイドさんにグリーンゲイブルスから投函をお願いする葉書を数枚書いたら、ワッ!もう2時。
ひどい夕食だったし、フロントも妙に暗くて、余りいいホテルのようには見えなかったけれど、案内書には4つ星で、非常に快適、
日本語スタッフも常駐と書いてあったし、添乗員もPEIで一番良いホテルなんですよと言っていたけど?