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「赤毛のアン」紀行①

序章 ルーシー・モード・モンゴメリーの島へ

「あんたを待っていたのよ。」電話の向こうの声が弾んでいた。夫の転勤に伴い日本列島を経巡り、 ようやく25年ぶりに故郷東京へ戻ってきて、引越しの荷解きもまだ完全に終わってもいない私に。「旦那がね、 絶好の遊び相手が手近になってよかったなぁだって。」笑っているような声は「アンの島に行こうよ。」との誘いになった。 「他の海外旅行なら誰とでも構わないんだけど、アンの島だけは分かり合える人とじゃないとね。カナダはもう2回も行っちゃったけれど、 PEI(プリンス・エドワード島)はあんたと行くのにとっておいたんだ。」それは全く私も同じで、 PEI旅行はもうその日に決まってしまった。
プリンスエドワード島の秋
「キンドレッドの島にはキンドレッドと共に。」子供の頃アンに夢中になった。アンの言葉、振る舞い、スタイル、フィルが言ったように 「レドモンド中があなたに熱狂するわ。」小さな部屋の片隅で私も熱狂した。どこかに私の腹心の友はいるのだろうか? いつかはあの美貌のフィルを顔色なからしめて輝くような時が私にもくるだろうか?ギルバートのような人にめぐり会えるだろうか? 東京の下町生まれの私の回りにはあんなに目くるめく美しい楽しい自然はもうなかったけれど「好きなものに名前を付けるアンのやり方って、 なんてなんてロマンチックで素敵なんだろう!」膨らんだ袖のドレス、襞べりのある、レースに縁取られたドレスを想像したり、 学校の帰りに見る夕焼けにアンの言葉を当て嵌めてみたり。小学生から中学生の間、アンはズーット私の腹心の友であり続けてくれた。でも、 何時かアンの島に行ける時が来るかもしれないなんて思いもしなかった。英語の苦手だった私は弱気な心そのままに、 「どうしても英語を勉強して行くんだ!」という気迫に欠けていた。夢見るだけでは夢に近づけない。 アンの腹心の友だったらそんな事解っていてもいい筈だったのに。モードのファンだったら夢は実現すべきもののはずだったのに。 それにしてもカナダの東の外れの小さな島に行くツァーがこんなにあって、年間万を越えるアンファンが簡単に行けるようになるとはねぇ。 同じ思いの友達に恵まれて、行ける事が解って、パンフレットを集めて検討し始めたら、不満だらけだった。 「多分企画をする人の中には翻訳されているモンゴメリーの全作品をなめるように読みふけった私たち二人みたいな人はいないんだわ。」 っていうのが私たちの結論だった。

結局出来合いのツアーの中からPEIに3泊出来て夕方や朝に比較的自由時間の多い「花のプリンス・ エドワード島と大西洋景勝地巡り9日間の旅」という旅を選んだ。 PEIは公共交通機関が無く、アンの乗った鉄道も今は廃線になっていて、 観光バスはあるものの、英語の話せないものが自由自在に動き回れるとは思えなかったからだ。絶対行けないと思って読むのと、 行けるかもとしれないと思って読むのとでは大きな違いが幾つもあるだろうけれど、一番の違いは地名にあると思う。 行けないならば地名は架空の世界の夢の名に過ぎないけれど、行けるとなったらそれは実在するこの世の世界になり、 実際に歩いて見られるということになる。モードが描いた時「そこ」はどこを念頭に置いていたのだろう? 彼女が叙述したあの景色はどこで見られるのだろう?「彼女がモデルにした景色を見られるかもしれない!きっとどこかにある筈!」 そう思って読むのは、妙に心踊るものだ。 アヴオンリーがキャべンディッシュという実在の村を念頭に置いて書いたと言う事はどの本にも書いてある。なら?グリーンゲイブルスは誰の家? カーモディ街道はどこを走っているの?アンが泣く泣くマリラと馬車でたどったホワイトサンド街道は海辺のどのあたりを走っているの? クイーン学園はどこにあるの?アヴォンリーの小学校や、教会は見られるかしら?等々!!!もう一つ、そうなると気になるのは花の名前だ。 アンの愛した花々が見られるんじゃないかしら?
アンの桜
「モードの物語はあんなに花に溢れているのだものね。」6月の終りから、 7月の初めに行くとなればアンと同じように花を摘む事は出来なくても、愛でる事は出来そうじゃないの。 この頃に咲いているアンが好きだと言った花の名前を全部覚えておかなくっちゃ。物語の中で私もアンと同じようにさんざしをかかえ、 スターフラワーを髪にさし、甘草の香りを愛し、スミレの谷に身を埋めたのだから。 サンザシにもリンゴの花にも歓喜の白路にもすみれの谷にも間に合わないけれど…あのきんぽうげ、ジューンリリーには間に合うわ。 行けるのなら、あのPEIを思い切りほおばって来なくっちゃ…。でも、一番大切なのは雰囲気を味わう事!私の親友の故郷を感じる事。 アンやエミリーやパットやジェーンを私に与えてくれた愛するモードの世界を、景色を一緒に感じる事。モードのロマンスに浸る事。 だから行くと決まった私は準備の3ヶ月でモードの全作品を手に入る限り読み直そうときめた。それが私の旅の一番大切な準備。

その前にアンの島の歴史を少し頭に入れておこうかしら。
プリンスエドワード島の地図
時代の空気が解っているとまた解ってくる事がありそう。それで図書館から借りてきたのが「赤毛のアンの島・プリンス・エドワード島の歴史」 ボールドゥイン著「これを読んでおいて良かった!」と思ったのは、 私たちが行った7月1日はカナダの独立記念日で可愛らしいお祭り騒ぎが見られて、とても興味深かったから。 モードのおじいさん達も実際この出来事の時生きていたのだと思いながら独立記念日に立ち会えたのだ。 モンゴメリー家はカナダでは草分けの家庭の一つだったと言う事。 そしてその家庭がモードの生き方に及ぼしたと想われる影響等を考える手がかりになった事。 この本はモードの生きた時代を理解する手助けになったように思う。 アンが生まれた年とモードが生まれた年を見て意外に思うのはアンの方がモードの実年齢を8歳も上回っている事だ。 アンは1866年3月生まれで、モードが68歳で亡くなった1942年にはアンは76歳ということになる。 アンの物語はこの年月の間のものだ。この間のカナダの歴史を知っておくことは物語の背景を知ることにもなるのではないだろうか。 PEIだけでなくノバ・スコシァのもね。物語の中でここに住んでいたアンの両親はアンが生まれて僅3ヶ月ほどで相次いで亡くなっている。 アンがレドモンドの学生だった時にノバ・スコシアのボーリングブロークへ行って、 生まれた家を見るまではアンの両親はアンにとっては只の話にすぎなかった。家を見て、 古い手紙を手に入れたアンの心の中に両親は生き生きと立ち現れる。昨日のバラの香のように。私たちもツァーで、ノバ・ スコシァのハリファックスへ行ける。何よりアンの青春の大学生活の雰囲気を、 モードが実際に行った大学ダルハウジー大学で知る事が出来るのだ。 モードはPEIのニュー・ロンドンで1874年11月に生まれ、 母の死後母方の祖父母にキャベンディシュから19キロ離れたマクニール農場で育てられ、 1942年4月24日トロントの旅路の果て荘で亡くなっている。モードの関係するすべての場所と年代のことも知りたかった。 現在公開されている国立公園内のグリーンゲイブルスはモードの祖父の従兄デービッドとマーガレット・ マクニールの家を物語に添った形で再現している。モードが祖父母と暮らしていた家は今屋敷跡だけが残っているが、 隣の郵便局は公開されている。今、現に何が見られるか知っておかなくては。 アンの物語の中で地名や花以外にも気になっていた事が他にも幾つかあって、ほとんどは日常生活に関してで、お風呂は?とかトイレは? とかいう事。モードの物語には食べ物の記述がイッパイ出てくるから、台所はそれこそ想像で描き出せそう。
マリラの台所
特にジュディ・プラムの炉端に座り編み物の間に一掻きするとえもいわれぬおいしそうな香りをかもすあのスープ。 私でなくともぽっちりお相伴に預かりたくなるではありませんか。どんな炉端でしょう?どんなストーブでしょう?マリラとアンの台所、 ジュディとパットの台所、アンとスーザンの台所、ジェーンの小さな台所、何度も読んでいると、 頭の中にそれなりに絵が浮かんでくるではありませんか?お菓子の香り、ジャムの匂い、磨き上げられてでこぼこになった床、入り口の段々、 窓辺のポニー。こんなに素晴らしい台所がこの世のどこか他にあるでしょうか?ではお風呂は? 私が最初に読んだ本にはアンが染めた髪をマリラと必死になって洗っている場面の挿し絵がありました。小さなテーブルの上に洗面器、 その横に水差し。背景は描き込まれていなかったけど、お風呂場ではなかったですね。アンとマリラが必死になったあの洗面器はアンの部屋? それともお台所?西部劇で見るじゃありませんか?部屋の真ん中に浴槽。湯船の中で泡だらけになってブラシを使うジョン・ウェイン!カナダも? アンも台所の真ん中にやっぱり浴槽を持ち出すのかしら?それとも私の夫の田舎のように庭の隅に別棟かしら? アンにも家の記述があんなに沢山あるパットのお話の中にもお風呂の事は何も書かれていないでしょう? 物語の中では殆どお風呂に入る記述は無いんです。それにトイレの事も。緯度の高い、 雪の多い所ですからそれこそ夫の田舎のように便所も裏庭に別棟というのは不便極まりないでしょう? きらめくアンたちの物語ではこんな当たり前の事、モードにとっては書く値打ちもなかったのでしょうね。でも行くなら見てこれる。 そして実際見て聞いてこれたのです。グリーンゲイブルスの勝手口側に三角形の屋根付きの井戸とチョット離れてトイレの小屋がありました。 ガイドさんの説明ではそれぞれの部屋の、あのきれいな水差しのおいてあるテーブルの下の開きにはおまるが隠してあって、 冬や夜はそれを使ったそうです。夫の田舎ではおまるなんて使わなくて、雪の夜でも震えながら外まで行かなければなりませんでしたから、 この方が合理的で優しいかもしれませんね。もっともPEIの方がずうっと雪が深いのですけれど。そうそう、お風呂は「当時は、 毎日ぬれたスポンジで体を拭くのが一般的でした。浴槽に入るのはまれだったのです。週に一度ぐらい台所のクッキング・ ストーブで沸かしたお湯を台所の床にブリキ製の風呂桶に入れて入浴する家庭もありました。 モードは日記に祖母は風呂で入浴するのを嫌がるけれど少なくとも二週間に一度は入るべきですと書いています。」と、教わりました。 西部劇スタイルだったんですね。こんなことも行かなかったら永遠に分からなかったでしょう?それにしても、皿洗い、洗濯、 あらゆる家事に今よりずっと時間を取られたあの時代、当然アン達子供も手伝いに割かれる時間が少なくなかったでしょうに、遊びが豊かですね。 時間の尺度が私たちと全く違うのではないかと思ってしまいます。髪吹き乱して走り帰ってくるアン、 まめのさや剥きを終えて幸福ヶ原にひとっ走り夕日を見に行くパット。学校に割かれる時間が違うからでしょうか?でも、 アンの受けた学科には地理、歴史、作文、算数(代数、幾何)、理科、絵画、音楽もありましたね。それにラテン語、フランス語、 ステイシー先生は体育に野外授業も取り入れました。朗読や劇の練習も、宿題や受験勉強もしました。 何がどう違ってモードの主人公たちはこんなに活き活きしていられるのでしょう? 私がこのモードの紡ぎだす世界から出たくないのは結局この活き活きとした世界の虜になっていたいからに他ならないのではないかしら。

大好きなアン!ところでアンという名前をどう思います?「コーデリア」と呼んでくれませんかと言うアン、 「せめて終りにEの字の付いた「ANNE」と呼んで」と言うアンに子供の頃の私は可笑しさを感じたものです。でも頭に刷り込まれましたね。 「ANN」より「ANNE」の方が感じがいいのだと。こう拘る感性を好もしいと思いおかしみ共に可愛らしさを感じたのです。 共に行く友達とはメールで打ち合わせたり、情報交換をしていましたから、私も彼女も「終りに「E」の付くアンの旅について」とか「 「ANNE」のことでわかった事」等と書いてやり取りをしたのです。そうするとアンが益々身近になって、 行けるんだという喜びが日々実感される様でした。アンが呼んで欲しいといった「コーデリア」という名前を私が最初に知ったのは確か「リア王」 でした。なんて悲しい人の名で呼ばれたいと思ったのでしょうね。確かにロマンチックではあるけれど。アンの言葉のせいで、 ジュラルディンとかコーデリアとかフィッツジェラルドとかいう名前は高貴な感じに受取るようになったし、 なんとはなくぎごちないように最初は思ったバーサと言う名前まで、アンが「バーサってきれいな名前で良かったわ。」 と言っただけで好きになってしまいました。それにマリラの性格の故にマリラという名前が好きになってしまいましたものね。 アンの言う通りですね。その名を素敵なものにするのはその人の性格や生き方だということも、この物語で学んだ事の一つです。学ぶと言うより、 すとんとわかったという感じでしょうか。アンは説明したり、教えたりはしませんもの、ただ生き生きと自分を生きているだけなんだけれど、 季節や自然の描写の中に溶け込んで、アンの考え方や思いがこちらの心に染みとおってしまったのです。 親は皆何がしかの思い入れを持って子どもに名を付けたのでしょうけれど、 私を知る人にいい名だと思ってもらえるかどうかは私のあり方によるのかもしれませんね。せめて楽しい名だと思ってもらえます様に。 黒い髪に憧れるアンにギルバートが「君には黒は映らないよ、チチアンの透き通るような肌に映るのはただ…。」「赤だけね。」 と会話する所は私の好きな場面の一つですが、このせいで、アンという名と赤い髪は私の中で切っても切れなくなって、 映画や他の小説にアンという人物が出てきても赤い髪ではないと違和感を持つようになってしまったようです。それにチチアンがティツィアーノ、 イタリアの画家で赤毛の女性を好んで絵に描いた人のことだって事も覚えましたね。 最もその後何度かの海外旅行の折に大分ティツィアーノの絵を見ましたけれど、赤毛の女性が多いという印象はありませんね。 白い肌に褐色や栗色、金色の髪のように思ったのですが、 赤毛って子供の頃に思っていたように本当に真っ赤とは限らないということに遅まきながら気が付きました。
赤毛の娘
アンは夢の親友なので特別な緋色のようなありえないような赤毛になっていたんです、私の中で。コナン・ドイルの「赤毛連盟」 の中に出てくる赤毛の人たちの描写がありますね。「オレンジを積んだ八百屋の手押し車・・・わら色、レモン色、オレンジ色、レンガ色、 アイリッシュ・セッターに似た色、赤茶色、粘土色、ありとあらゆる種類の赤い頭が集まっているのです。」を、思い出しました。 なんていったってアンの赤毛は金褐色に近い赤毛だって慰められる赤毛なんですものね。 テッツィアーノの絵のおかげでアンの髪の色はジェイベズ・ウィルスンの「本当に火のような、燃えるような赤」 とは一線を画すことが出来ましたけど。うーん、 でもリンドのオバサンは走り戻ってきたアンの振り乱した燃えるようにこれ以上はないというような「赤毛」を見ているんですよねぇ。 赤毛のアンの赤毛って、これも永遠の私の中の謎かも知れません。あぁ、アンに会えたらねぇ! 緑の目をした十一歳の異国の少女は十歳の私の心の友だった赤い髪をしたその少女の愛する国は幼き日の私の隠れ家だった長い年月温めて来た心の故郷が赤いこの道の向こうに今立ち上がろうとしている9日間だけの私の黄金のフェアリーテールとして。

この時を私の胸の一番奥へ抱き取ろう「よき星がそなたの天宮につどいそなたは魂と炎と露の存在と化した」    

ロバート・ブラウニング「エブェリン・ホープ」 よりアンやエミリーやパットに魂を与えて多くの人にたくさんの思い出と喜びと夢を与えたモードこそまさにこのような存在だと私は思っている。 モードはこの二行に惹かれてこんな魂の少女を描きたかったのではないだろうか。 アンは活き活きとした跳ね飛ぶ様なエネルギーの子供時代から円熟と共に立ち去っても、夢を見、涙し、 歓喜する心の力は永遠に失わないのだから。この旅をモードの魂の存在した場所を感じる旅にしたい。 こう思いながらいよいよ私の憧れの島への旅が始まった。同じ思いの友と「花のプリンス・エドワード島と大西洋岸景勝地巡り」 9日間の旅

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