「赤毛のアン」紀行③
2日目 キングスポート!
トロントからハリフアックスへの二時間の移動で始まり、午後は市内観光へ。ハリフアックスはノバ・スコシァ州(ニュー・
スコットランドの意)の州都。
ガイドさんから早速「州旗は白と青で、白は波、青は海、湖、川を現し、各州には州のタータンが決められていて、 この州のは黄と赤と緑のチェックで、勿論緑は森を表現しています。ノバ・スコシァの森は60%が針葉樹で緑、残り40%が広葉樹です。 針葉樹の緑と、勿論広葉樹の紅葉の色ですね。」と言う説明があった。紅葉の頃はさぞ美しいだろうなぁ。本当は私たちが一番来たいのは、 歓喜の白路が真っ白な頃。二番目は紅葉の頃。しかしPEIの観光シーズンは9月いっぱいで終ってしまうし、 桜やリンゴの花の時期はまだシーズンが始まっていないという。
州都の観光はまずシタデルから。ゆるい丘を登っていくと見えてくる海がとても綺麗。大西洋だ!
街角の電柱が東京の昔の木の電柱と同じなのが妙に懐かしくて、この町が急に好きになる。シタデルは港を見下ろす丘の上の星型の要塞。
星型が函館の五稜郭を思わせる。小さな門にはバッキンガム宮殿のように衛兵が直立不動。建物の上からはバグパイプの音。
当時の兵隊の奥さんの格好をした女性が行き交い、気軽に一緒に写真を撮ったり、スカートを持ち上げて洗濯の工夫を見せてくれたり。
駆け足で次は大西洋海洋博物館へ。ここはノバ・スコシァ・ミュージアムの海洋部門で、
タイタニック号の遺品やハリフアックス大爆発の写真等を見る。短い時間だったけれど、この町の歴史の一端に触れた。
バスに戻って、車窓からハリフアックスの港や町並み、ダルハウジー大学(モードも通った)、モードの下宿だった家、
「パティの家はこんなかしら?」と思わず口にした家々、そしてアンのオールド・セント・ジョン墓地のモデルになった、オ―ルド・バーリング・
グラウンド墓地等を見ながらシェラトン・ハリフアックス・ホテルへ。もう、バスの中から見る街にワクワクしていたのだから、
チェックインするやいなや早速夕食まで散歩に。ハリフアックスはアンのキングスポートだし、ダルハウジー大学はアンのレドモンド大学だもの。
モード自身が下宿し、大学に通った町。この旅行最初のモードの景色だ。モードが歩いた街だ!モードが歩いた道だ!何一つ見逃したくないと、
眼鏡の奥の眼がピキンと張り裂けそう。まず、バーリントン通りとビショップ通りの角にあるモードの下宿へ。
古びた石造りの三階建てで、一番上の階が色が違うのが屋根部屋のようだ。くすんだ緑のドアには1361の数字が。
他にもモードの下宿と言われている建物があるのだけど、ここには向かいにあのオールド・セント・ジョンがあるのだ。
煉瓦の門の上にライオンの乗ったあの墓地。ホームシックになった時のアンの慰めともなった、想像の余地のたっぷりある古い墓地。
私たちも「英国の巨大なライオンを戴いた、素朴などっしりとしたアーチをくぐって、正面から入っていった。」下宿の事もこう書いてある。
「下宿としてはとても素敵な所よ。大きな古風な灰色の石造りの家で、セント・ジョン街にあるのよ。
レドモンドからはちょっとした気持ちのいい散歩程度のところなのよ。」というわけで、思い思いに感傷にふけりながら墓地をうろついてから、
見捨てられたセント・ジョン街ならぬバーリントン街から、気持ちの良い散歩程度のダルハウジー大学まで歩いてみた。スプリング・ガーデン・
ロードを上って、はまなすの甘い香りの漂う生け垣に囲まれ、蔦の絡まる大学の建物まで。
「レドモンドよ!」こんな時間が こようとは!私たちは校舎の間を縫い、壁をなで、窓を見あげ飽きる事がない。「大変、時間!」
の声に時計を見ると夕食まで十分しかない。もう後は必死でグラフトン通りを走る。
ありがたい事に方向音痴ではない友の後をひたすら走りながらも私の目はあちこちさ迷って、この時間が惜しくてたまらない。
やや遅れて夕食会場のバンケットルームに滑り込む。
かくして皆さん揃ってのカナダの地での初の夕食の始まりは水で乾杯となってしまったのですが「えっ、レドモンドも?モンゴメリーの下宿も?
オールド・セント・ジョンも?本当に自分たちだけで行けたの?」と、皆さんの羨望の質問を受けることになりました。硬いパンも、
巨大な葉っぱだらけのサラダも、凄い色のドレッシングも快い春の夕べの素晴らしい食事に思えましたよ。