東欧4ヶ国の旅③
第2日目 (土) プラハは確かに百搭!
7時30分 モーニングコール
8時00分 朝食 アメリカンスタイルと書いてあったブッフェ式朝食でした。

コーヒーはとてもおいしく、パンはとても不味く、なぜかチーズは皆紙のごとく、でした。
森前総理じゃないけれど、「そういうチーズあるの知らなかったんだろう!」って?
9時 約2時間の予定で世界遺産「プラハ歴史地区観光」へバスで出発。
プラハ城の多分?北西側にバスを止めてそこから歩いてプラハ城に入場する。
旅行前日に電話で添乗員さんから挨拶があったが、そのときの注意事項は
「寒さ対策の衣類と、石畳が多く車の乗り入れられない場所へ行くので歩く距離もかなりあるから歩きやすい靴を持参ください。」
の、二点だったが、まさしくここがそれで、バスを降りてから石畳の道を登っていく。
この城は開放的な城で門が5つある。東西430メートル、南北70~140メートルと細長く、
十世紀にはもうこの規模の城がこの地に建っていたそうだ。

私たちは火薬橋を渡り水の出ていない噴水の有る第二の中庭へ入った。
ここで、添乗員さんは私たちを現地ガイドに任せ写真許可証を買いにいった。
この先の聖ヴィート大聖堂は写真を撮るには許可証がいるのだそうだ。
写真を撮りたい十数人が手を挙げて、お金を集めて…添乗さんはまたまた?大変!
許可証は2ユーロくらいだったように記憶している。
大統領府を横目に建物の下を潜ると目の前には聖ヴィート大聖堂が聳えていた。
プラハ城内の最大のゴシック建築で、
正面には82メートルの二本の塔、中程には99メートルの鐘楼が立ち並び、まさに聳え立つと言う感じ。

930年にロマネスクのロトンダ式聖堂として建てられものが、14世紀にカレル四世によって今の形になったそうだ。
中に入ると真っ先に美しい網目状のヴォールト天井とステンドグラスの美しい色合いが目に飛び込んできた。
写真許可証はシールになっていて胸に貼り付けて写真を撮る。
イギリスのカンタベリー大聖堂もこんな風に写真許可書を胸に張ったが、これが一種の拝観料と言うことか。
やっぱり最初は入り口左側3枚目のミュッシャのステンドグラスでしょう。
ひょっとしたら、ミュッシャだと思って見ているからだろうか、 他のステンドグラスもとりどりに美しい中にあってもひときわこの一枚が美しいような気がするのは。
旧王宮の横を通って聖イジー教会の前へ。

ここでまた添乗員さんはこの先の黄金小路へ入りたい人の人数を確認して入場券を買いに行った。
殆ど全員手を挙げたのだから最初から組み込んでおけば楽なのにね。ここは1ユーロ。
旧王宮には花のパターンが美しいヴォールト天井を持つウラジスラフホールというホールがあるのを写真で見ていたので、 ただ通り過ぎるのが惜しい気がした。
プラハ城のほぼ真ん中に建っている聖イジー教会は、真っ赤なファサードがとても可愛らしい、後ろに白い二本の塔を従えた印象的な教会だった。
921年にウラジスラフ一世によって創建され、火事で1142年に再建されたロマネスクの教会で、2つの塔もその時のものだそうだ。 太い方がアダムで細い方がイブ。
国は変わっても人間の発想は同じと見えて?夫婦茶碗の発想かな。
残念ながらここも通るだけで中には入らなかった。
「ほら、未練を残させるのがやっぱり手だよ、旅行社の。」
神在らば 女は男の 骨一本
次の黄金小路は入場券のチェックゲートを通って入る。

ここは16世紀に城を警護する門番や警備兵のための住居として建てられた小さな長屋で、 その後錬金術師が住み着いて黄金の研究をしていたという伝説によって、何時しかこう呼ばれるようになったと言う。
22番地の真っ青に塗られた家にはフランツ・カフカが住んでいたことがある。
若い観光客で溢れ返っていたけれど、
「今の若い人はカフカ読むのかな?」
「私たちの青春の頃はなんとなく読むのが常識?って感じだったよね?」
「うちの子供たち読んでいるかなぁ?」
「絶対読んでない!」
「ここに来ている子達は読んでいるのかも。」
「自分の国の作家なら読むんじゃない?太宰治読むみたいに。」
なんて言いながらカフカの小さな家を覗き込んで、また次の家へ。
本当に小さな長屋のように見えるが大体は二階建てで立派な地下室が付いている。
今はどれもこぎれいな土産物やになっていて、可愛らしい楽しげな小道では有るが、本当に短い。
ここで約20分ほどの自由時間が与えられたけれど、地下まで見ていたらすべての店を見ることは不可能だった。
東側の出口から城の南側の黄色の塀沿いに露店の並ぶ綺麗な道を、ヴルタヴァ川とその向こう側の景観を楽しみながら、
だらだら下っていくとカレル橋の袂に出た。

橋桁の下から見上げるような位置にいつの間にか「橋があった!」という感じだ。
「ねぇねぇ、私たちマーチャーシュ門も王宮庭園も見られなかったよね?」
「ウラジスラフ・ホールとイジー教会と修道院の内部が私にはモット痛いわ。」
様式が繰り広げてる歴史見る
カレル橋はモルダゥ川ともいうこの川に架けられた最古の石橋で、長さ516メートル、幅9・5メートル、まるで広場のように広々とした橋だ。 欄干代わりに?30もの聖人像が立ち並んでいる。
この橋のほぼ真ん中ヤン・ネポムツキー像の前で
「15分後に橋の市街側に集合、くれぐれも橋を下りてしまわないように。」
と注意を受けて散会した。

私たちはとりあえず日本にゆかりの有る唯一の像、フランシスコ・ザビエルの像を見ようと旧市街地の方へ歩いていった。
彼は変な日本人(らしき)人々に取り巻かれて、厳かに立っていた。
この橋上からの眺めがとてもいいので、二人ともあっちこっちと写真を撮りまくっているうちに時間になってしまい、
大急ぎで集合場所へ飛んでいった。
しかし2組が10分待っても到着しない。探しに行った添乗員さんとガイドさんは15分後に彼らを連れて帰ってきたが、
「紛らわしい指図をして申し訳ありませんでした。」
と謝ったガイドさんは完璧に切れていた。
「今までこの説明で間違われた方は居ませんでした。」
と付け加えた一言と轟然と挙げた顔がものの見事に正直だった。
集合場所を間違った2組5人は
「向こう側でじっと待っていたのよ。言い方が悪いのよね。」
と、ずうっと聞こえよがしに言い合っていたけれどね。
結構大人って大人に成れないものですよね、特に旅先では完全に子どもに還っているんだもの。
わがままも好奇心となる旅の空
カレル橋をおかげで楽しめたけれど橋塔へ登るまでの時間は貰えず、この上から見るプラハの景色を楽しみにしていたのだけど残念。
橋の前には線路を挟んで教会と思しき建物が並び立ち、そこがクレメンティヌム。
イエズス会を起源とする元ドメニコ修道院で、建物は「教会ですよ!」と主張しているのに、今は全く宗教性のない図書館ですと。
その前のちょっとすすけた広くもない通りをトラムと車がものすごい勢いで走っていく。
ほんの少し高くなった歩道からちょっと身を乗り出したら引っ掛けられそうな恐怖を撒き散らして。
その通りを横切って沢山の人が歩いていくままに、くねくねと幾折れかして身をゆだねて歩いていくと、旧市街広場に出た。
中世の香りをたっぷりとまだ漂わせている建物にぐるりと取り囲まれた、人でごった返した広場だ。
ゴシックもロマネスクもバロックもロココもカタカナの建築様式なら全部取り揃えていそうな感じである。
ただ近代だけはない。
丁度12時になるところで、旧市庁舎のシンボル時計が鳴り出して、12使徒が時計の窓をぐるりと行進していくのが見られた。
ガイドさんは間に合ったとホットした顔をしている。
「ヤレヤレちゃんとこれを見せてあげようと時間を合わせていたのに、綱を外した駄犬じゃァあるまいし、よく話を聞かない客には困ったもんだ。 」ってね?
その15世紀の天文時計のまん前に有るお土産屋「ロッド・クリスタル」に入って、日本人の店員に
「プラハの有名店の一級品まで揃っています。」
と店にある商品を一くさり案内してもらい、割引券を配られてからトイレ休憩20分。
私たちはニヤッと顔を見合わせて店の外へ。
だってお土産品よりヤン・スフ像を中心に置く中世そのものみたいな広場に興味があるものね。

「一分の家」と言われるのは(何でこう呼ばれるのか聞きそこなった) はユニークな外観の小さな家で黒地の建物に白い浮き彫りがとてもインパクトの有る建物だった。
この手法はスグラフィットと呼ばれるものだそうだが、まるでギリシャ建築の屋根を飾るレリーフのような、 エトルリアの壷を思わせるような魅力的な装飾壁がステキ。
レリーフの 横向きの鼻 夢の鍵
石の鐘の家も可愛らしい、明るいファサードを持つキンスキー宮殿も、大慌てで写真を撮るだけで、とりあえず聖ミクラーシュ教会へ。
白いこの教会は18世紀までのベネディクト教会から今はプロテスタントの教会になっている。

仏教の宗派を知っている身からすればキリスト教の宗派も想像が付くようなものだが、それにしてもキリスト教の宗派は多すぎる。
最近はイスラムも何々派とニュースで聞くようになってきて、イスラムも多そうだなぁとは思い始めているが。
内部をさっと数枚写真を撮るだけの時間しかなくて、汗をかきつつお土産やさんへ駆け戻った。
その長い店を通り抜けて昼食を取るレストランまで数分歩いた。
昼食を取るのは「カフェ・スタレイ・チャシュ」という店。
地図を見てもそうだが、通りや地名の文字が読めない。
この店も同様で綴りを見てもなんと読むのか想像が付かない。
だからこそ、この旅は個人旅行を止めてツァーにしたのだけれど。
添乗員さんに「なんて読むの?意味は?」と、いちいち聞くのも気の毒なのだけれど、聞くしかない。
この店は「古い時計」という意味だそうだ。
店の一階はカフェらしくお茶を飲んでいるらしい人が少々。
私たちは地下へ降りると、そこは簡素なレストランになっていた。
前菜はクリームチーズをハムで巻いたもの、メインはマスの塩焼きに米のサラダを付け合せにしたもの。
ますは腹開きでウツブセに皿に一匹乗っている。
余り食欲をそそると言う形ではないが知らないものではないし食べられる。
食事の後その店の前で自由時間となった。
18時にさっきのロッド・クリスタルの店内に集合と言うことで解散する。
私たちは最初ナ・プシコピュ(お濠の上にと言う意味)通りからヴァーツラフ広場へ出て、ナーロドニー通りへと散歩するつもりで居たので、 この店はナ・プシュコピュ通りからヴァーツラフ広場へ出る直ぐそばだったので丁度良かった。
広場は真ん中が何かのイベントに備えてかテントがいっぱい作られているところで見通しも悪いし、人の流れもごたごたしていて、 タイミングが悪かった。
広々として美しいのどかな広場を想像していたのだけれど、出来の悪いシャンゼリゼ状態になっていた。
おまけして札幌の大通り公園に近いと言っておこう。
公園というより広い道路だろう。
だから意欲を失って、国立博物館を正面に見たところで横道に入りミュッシャ美術館の方へ歩いていった。
この国立博物館はライトアップされた姿がとてもいいと読んでいたが、確かに通りの締めくくりとして堂々たる姿を見せていた。
中央の高いドームが魅力的なネオ・ルネッサンス様式の建築で、民族復興の記念碑として構想されたとか。
後で思い出したのだがこの広場に面してアールヌーボーのホテル・ユウロパがあったのだった。
合いも変わらず予定は未定。
後で彼女に「見落としたね。」と言ったら、
「ミュッシャ美術館へ行く時に曲がった角の建物がホテル・ユウロパだったんじゃないかと思っているけど。」と言っていた。
もう確かめる術はなさそうだ。
しかし後で写真を見たら、私たちの曲がった角にはなんとあのデベナムが写っていた。
昨年の今頃にはロンドンのそのデベナムの直ぐ裏のホテルに私たちは泊っていたのではないか!
ジャァ、ホテル・ユウロパは?
欧州のデジャブが見せる優越感
ヴァーツラフ広場のごちゃごちゃに水を差されたのでナロードニー通りの方は止めて、 ミュッシャ美術館も彼女が興味ないというのでそれもあきらめて
「ショップだけちょっと覗かせてね。」と、立ち寄ったが、
残念ながらお土産やさん以上の物は見当たらない。
しかしこの通りでは路地を跨いでビルとビルをつなぐ橋のような建築物(まるでヴェニスの嘆きの橋とまでは言わないけれど) がレリーフの施された優美なものだったのがちょっと楽しかった。
ナ・プシュコピュ通りに戻って火薬塔の方へ行くことにした。

もともとは物見の塔だったものを15世紀にゴシック様式の防衛用の塔にしたもので、 17世紀に火薬貯蔵庫に転用されてこの名で呼ばれるようになったものだ。
カレル橋の橋塔をまねて作られたと言うこの塔は、本当にさっき上る時間をもらえなかった橋塔とまるで兄弟のようによく似ていた。
この最上階からの眺めもいいというのでカレル橋の塔にも登りそこなったしと、
「登れるかなぁ?」「駄目でもともと!」と、分かり難い扉を開けて狭い石の階段を上っていった。
二階部分ぐらいまで登ったところに料金所があって、聞いてみたらやっぱりチェココルナだけだと断られてしまった。
「両替してみる?カフェもきっとユーロじゃ駄目かもよ。」
と相談したが、
「もう時間も僅かだし、お腹もいっぱいだし、駄目なら駄目でカフェも見るだけいいよ。」とのお返事。
で、散歩を続ける。
火薬塔の隣は市民会館で私はここのカフェもちょっと予定にいれてあるんだけどなぁ。
この建物はアールヌーボーの優美な姿をしていて正面ファサードの丸屋根の下にはモザイクの壁画が特徴的で美しい。
硝子のドームを頂くエントランス部分を頂点に左右対称の翼が伸びている。
中には1500人を収容できるスメタナホールもあるし、2階のサロンではミュッシャの装飾が見られるのだ。
正面アーチ部分には「プラハに栄えあれ、時の流れをものともせず、すべての紆余曲折に耐えてきたように」と書かれているそうだ。
プラハ賛歌だそうだがまるで人生訓のようだ。
時の流れに流されぬ雄雄しさを持って、紆余曲折にも曲がらぬ信念を持てたら、それだけで自分にどんなにか自信がもてるだろう?
この共和国広場をぐるっと回って、グランドホテル・ボヘミアの方からまたこの市民会館へ戻ってきて内部に入ってみた。
「カフェもアールヌーボーだよ。」と誘い水。
1階のカフェの入り口で4・5人連れの他のツァーで来ているという日本女性たちと出会った。
「ここが有名なカフェかしら?」
「高いんでしょ?」
「入りたいのに入りにくいわね。」と、口々に話しかけてきた。
後で気が付いたのだけど、広場に面したカフェ・テラスの方からならごく気軽に入れそうな感じなのに、 内部から入るのは妙に敷居が高そうに見えないことも無い。
「折角来ているのだから入ってみましょうよ。」と、私は言って、でもお金が問題なのよね。
だから入り口で案内のお兄さんに「支払いはカードでも良いか?」と尋ねてみた。
「いい。」というので二人と告げて案内してもらう。
見送っている彼女たちに「大丈夫そうよ。」と声を掛けたのだけれど、結局彼女たちは来なかった。
金の装飾と燭台と大理石の彫像とで輝く優美なカフェだった。
彼女もすっかり満足そうに席に収まっている。

二人ともこういう時は黙っていても顔が笑ってしまっている。
飲み物を注文してケーキもというと、ケーキはあそこで注文しろという。
見るとケーキ満載の大きなワゴンをゆっくり押しながらウェーターが近づいてくる。
ケーキを注文する人はそのワゴンが来るとそこで選んで貰い、支払いもそこでしている。
私たちもワゴンがテーブルに来るまでにわくわくしながら、しっかりケーキの種類をチェックした。
おいしそうなたっぷり嵩高いケーキの種類がいっぱいあるのだから迷ってしまう。
私は様々の果物いっぱいの大きな一切れを、彼女は苺のミルフィーユを注文して、支払いはカードでというと、 ワゴンの叔父さんはうなずいて女の子を呼んで何か言いつけてからにっこりして次のテーブルに向かった。
彼女はメランジュ、私はウィーンじゃないのにアインシュペナーらしい文字を見つけてそれを注文。
「うん、当たり!」思っていた通りの飲み物が運ばれた。
「う~ん、良かった!ケーキもおいしい!飲み物も無事ゲット!」
まるでごろごろにゃんだね。
お腹いっぱいのはずだったのにやはり別腹。
私たちはいつもお腹には実力が?ある。
異国にも変わらぬ甘さの午後が来て
この市民会館の中には地下にステンドグラスのレストランと階上のスメタナ・ホールには見事な硝子天井があるというし、 ミュッシャの手になると言うその内装も見てみたいものだ。
が、見物はガイドツァーだけだと言うし、ま、ここはそれを諦めてこの美しいカフェでのひと時がすべてに優先。
後ろ髪を惹かれる思いで支払いを済ませようとウェートレスのお姉さんに合図してカードを渡すところで妙に金額が少ないことに気が付いた。
二杯のコーヒー分しか請求されていないのだ。
私たちの努力にも関わらず、店員の感じが
「自分の持分じゃなければ知らない。」
っていう様子が露骨なので、これ以上の説明も出来ない身としてはと・・・頭をひねって、
持ち合わせのユーロでケーキ分としてチップを大目に置いたけれど、でも結局はケーキのおじさんの所にまではあのユーロは届かないだろうな。
私たちのテーブルの受け持ちのお姉さんのポッケの中にだろうね。
相棒は「社会主義!社会主義だよ!」と唱えていたけれど、
やっぱりそんなものなのかなぁ?
火薬塔をもう一度ぐるりと回ってツェレントナー通りを旧市街広場の方に戻ったところで、彼女が
「キュビズムの『黒い聖母の』を見落としてきたよ。」
と言うので、今度は一つ横の通りを歩いて戻った。
ツェレントナー通りとオヴォツヌィー広場の交差するところに火薬等の方を向いてその建物は立っていた。

2階の角に名の由来の黒い肌の聖母像が掲げられているが、金網に包まれているので私の眼には彫像らしきものがあるらしいとしか見えない。
神の身はすべての色を吸いとって
ありとある色を纏って神と成る
建物自体は良く見ると見落としたのが不思議なくらい周りのビルとははっきりと違う感じがする。
屋根や壁が濃いえんじ色それとも茶色?をして幾何学的な4角の4階建ての上に、 少し引っ込んだ屋根裏部屋が二階分乗ったような6階建てのビルだった。
1911年に鉄筋コンクリートを用いてゴチャールが設計した、 チェコ・キュビズムを代表する建物なのだそうだ。
当時鉄筋コンクリートは最新技術だった。
他にもいくつか観光本でも紹介されていたが、この限られた時間で見られる場所にあるキュビズム建築はここだけなので、 見落としたくなかったのだ。
1階は本屋とカフェのようだったが入らないで写真を撮っただけでティーン教会へ行くことにした。
小さなトンガリがいっぱい付いた高さ80メートルの鐘楼が二本あり、十字架を乗せた塔がその間に立っているゴシックの教会だ。
百塔の町の5分の1はこの教会が?と思うくらい棘々しているけれど、 この教会の鐘の音色は素晴らしいのだそうだが残念ながら聴きそびれたらしく記憶に無い。
この棘棘した尖塔の先っぽには金色に輝く宝珠が全部で18個も付いているのだそうだ。
それがこの教会の特徴的な外観になっている。
そしてこの教会もイジー教会のそれと同じで太い鐘楼の方がアダムでもう一つ細いのがイブだ。
この教会は広場には面していなくて、建物の間を通り抜けないと入れない。
急いで中に入るとここも広場と同じく人で混みあっていて、天井を見上げたり祭壇に見とれたりしながら一巡して外へ出た。
教会の中は人の数の割りにひんやり静かで、どこも入るとユックリしたくなってしまう。
神々の棘のさなかに夏溢れ
次の目的は旧ユダヤ人街をシナゴーグを見ながらブラブラ歩くことだ。
この元のユダヤ人街には今はユダヤ人は住んでいないと言うし、再開発されて安全な町になったと言うし、 もう中世の面影は拾えないかもしれないけれど。
ヤコブ教会の前を通り、5差路続きで迷いながら旧新シナゴーグを目指したが、その途中の緑の多い美しい路にルイ・ヴィトンの名を見つけた。
機会があればその店でお嬢さんに頼まれたヴィトンの財布を買いたいと彼女は言っていたので寄ってみた。
あいにく頼まれた品はその店に無かったが、パリやロンドンの店と違って、店には日本人はおろか他の客も誰一人いず、 私はゆっくり店の商品を眺めさせてもらった。
日本のヴィトンにだってまず足を踏み入れることなんか無い私が!
その先の5差路の聖ドーバー教会横にカフカの像が立っており、その並びにはスペイン・シナゴーグ(ユダヤ人博物館)があった。
地図をあっちに向けたりこっちに向けたりしながらその前の道をぐるりと回って行ったら、凄く特徴的な旧・新シナゴーグの前に出た。
そこまでは殆ど人の歩いていない通りだったのだが、その前には数人の観光客が歩き回っていた。
現存するシナゴーグとしてはヨーロッパで最古のものだと言う。

13世紀のゴシックだと本には書いてあるがその恐ろしく特徴的なファサードは、読んでいなければとてもゴシックだとは思えなかったろう。
中は5つのリブから構成される独特のリブ・ヴォールト天井が見られるそうだ。
ここもぐるっと回っただけで入らずに次へ行く。
自由時間は正味5時間も無いのだからしかたがない。
全く「時間が無くなるよ!」が合言葉だ。
この先にはちょっと風情のある道になっていて、クラウス・シナゴーグがある。
こちらは古典的に可愛らしい塔破風のある建物で、やはりユダヤ人博物館になっている。
建物の入り口、頭上のユダヤの星の金のマークが鮮やかに目に飛び込んでくる。
その道は直角に曲がっていて、塀の向こうは墓地のようだが、私たちには塀が高くて中を覗くことは出来なかった。
若い外国の観光客らが塀をよじ登るようにして中をのぞきこんでいるのがちょっと羨ましかった。
外国の墓地は風情があるもの。
実際翌朝、宿泊したホテルの裏を散歩した時に見た墓地はなかなか風情があった。
カナダのハリファックスにあった「赤毛のアン」の古い趣のあるライオンゲートの墓地とまでは言えないけれど。
僅かな時間に垣間見ただけのプラハだけれど、その印象はやっぱり宗教を感じさせる街だと言えるかもしれない。
王宮内で二つの大きな教会を見た後、旧市街に行くまでにもフランティシュク教会とか名も確かめられなかった小さな教会を幾つか、 旧市街広場には聖ミクラーシュ教会とティーン教会。
そしてこの旧ユダヤ人街にはざっと五つものシナゴーグがひしめいている。
プラハは百塔の町と言われているが、実際には六百もの塔があるという資料もあるそうだから、その殆どが教会の塔であるとはいえないまでも、 私たちの歩いた限りではかなりの塔が宗教色のあるものなのではないだろうかと思われる。
人口を考えるとかなり密度が濃いという感じだ。
中世にはもっと人は少なかったろうし?
丈高き教えの中に身を潜む
あの神もこの神も神路地曲がる
ここまで来たからには本で見た教員組合アパートを見て行きたいと彼女が言うので、 本でその特徴的なシリンダー状の柱が並ぶ幾何学的な建物の色形を頭に入れて、 それがあると言うヴルタヴァ川畔のインターコンチネンタルホテルの裏手まで歩いて行った。
ざっと30分ぐらいぐるぐる歩き回っても、彼女の地図に記された辺りにはその建物が見付からない。
私の用意したプラハの地図には載っていないので、何度も彼女の地図を覗き込んでいるうちに気が付いた。
彼女の勘違いで、その建物は川の向こう側の丘の上辺りで、地図で見ていたのは「エリシュキ・クラースノホルスケー通りの集合住宅」 だったのだ。
だから個性的な外観の建物の前を通りながらも、
「これじゃない。これでもない!」
と言って通り過ぎていたのだ。
この集合住宅も後期キュビズムの代表的な建築の一つだったのにとうとう写真も撮らず終いだった。
まぁ川筋を歩くだけでもいいじゃない、何せあの「モルダゥ!」なんだもの。
私の頭の中ではあの交響曲が鳴り響いていたんだよ。
モルダゥの流れが曲に追いついて
チェフ橋の袂から川筋をずーっとカレル橋まで歩くことにして、
川向こうの景色を思いっきり楽しんだ。

丘の上に見えるプラハ城が歩くに連れて少しずつ景観を変えていく。
レトナー公園、ヴェルデヴェーレ宮殿辺り、王宮の白塔、黒塔、あれは見損なった聖ミクラーシュ教会の塔かしら?などと。
マーネス橋の向こうはヴァルトシュテイン宮殿?
そしてこの橋のこちら側には美術工芸博物館。
前の芝生には学生たちが三々五々日向ぼっこ。
カンカン照りの真夏のような午後だと言うのに。
私たちは日陰が恋しいくらいだ。
カレル橋が見えてきたところで川筋の道は無くなったので、クレメンチヌムの横、マリオネット劇場の前を通って旧市街地に戻ってきた。
旧市庁舎の裏手は縁日のような仲見世の小型みたいな露店が並んで、楽しくなるような色彩に溢れていた。

集合時間までにまだ少しあったので、まただめもとと旧市庁舎の時計塔に登れるか挑戦。
階段を三階部分位まで上るとまた料金所。
で、火薬塔と同じ「チェココルナだけ」やっぱりね!
18時、咽喉が渇いたねぇと時間もぴったりになったので集合場所のロッド・クリスタルに行くと、 グッドタイミングでレモン水のサービスに行き当たった。
何一つ土産を買わなかったのにすいません!
夕食は多分ベツレヘム広場の近くだと思うのだが、「ウ・メドピドク」(小熊さんの家)と言うビァ・レストランだった。
「本場のビール一杯サービス付き」と旅行計画に書かれていたっけ。
ここのビールはバドワイザー。
だけどアメリカのバドワイザーではなく黒ビールで、いわば元祖バドワイザーなのだそうだ。
それに地元の薬酒、養命酒みたいな物が一杯付いて、トマトとチーズの前菜、ソーセージとジャガイモ。
デザートはアイスクリームで紅茶付き。
5人ぐらいのおじさんバンドの生演奏が付いて、私たちも良く知っているような軽音楽、ワルツ、民謡、ジャズまで。
我がツァーの7人組のおばさん隊がすっかり陽気に盛り上がって肩を組み、 揺れながら歌っては演奏しているおじさんのポケットにお金を突っ込んでいた。
異国人の陽気が紡ぐ「さくら」聞く
彼女たちを見ているとこちらも楽しくなりそうだけれど、我が相棒はひたすら地図に歩いた道の印を付け手帳に書き込み続けていた。
「だって、酒飲みはいやだし、眠くなるのを防ぐにはこれが一番!」ですと。
今日一日分の元気は使い果たしたし、明日は早立ちでプラチスラバだし、荷物も詰め込まなくちゃならないし、早く寝ましょ。
ホテル・バルチェッロ・プラハの二晩目が終った。
