東欧4ヶ国の旅④
第3日目 (日) チェコ・スロバキアへ!
5時30分モーニングコールで起こされる前にもう起きて支度を始めていた私たちは、朝食も列車の中で弁当だと言うので、
荷物をさっさとホテルの部屋の前に出して、朝の散歩をした。
ホテルのある一帯は淋しいところのようで、
ホテル前は広い幹線道路だし、廊下の窓から見えた墓地ぐらいしか興味を惹かれるところは無いようだ。
墓地はぐるりと塀に取り囲まれてその壁に沿って歩いていくと段々塀が低くなっていき、
ちょっと背伸びをすれば見えるところがあったのでそこから少々写真を撮ってみた。
緑が多く、かなり朽ちている墓石もあり、その分趣を醸している。
時間が迫ってきたのでロビーに集合。自分の荷物が積み込まれたのを各々確認してバスへ。
6時45分ホテル発プラハ駅まで。
7時30分プラハ中央駅発、
国際列車一等車・コンパートメント61での400キロ、約5時間の旅でプラチスラバへ。
コンパートメントは6人掛けで、同席は4人組の軟式テニス同好会様だった。
私たちより多分ちょっと年上、元気はつらつおばさんたち。
道中は殆ど平らな草原。
真黄色の花畑がズーッと続いたり、牧草地がズーッと続いたりするだけで、時たま見かける村は極小さくて、人の気配も無い。
朝食はぱさぱさのハムと紙のようなチーズのサンドイッチとりんごとオレンジジュース。
やっぱりこのチーズはここの特産品?
変化のない景色にも飽きたので、食堂車まで列車探索に出かけた。
誰も居ない食堂車は可愛らしくて素朴な頬の赤い坊やがボーイさん。ニコニコして応対してくれた。
アイスチョコレートとストロベリーのホットデザートを注文して、のんびりと車窓を見ながらおしゃべりしていたら、 同室の4人も来て賑やかになった。
ドリンクは来たし、彼女たちもコーヒーを飲み終わって帰っていってもデザートがこないので、催促したら
「コックが今作っている。」とボーイさんは言う。
まぁ時間はたっぷりなので
「苺摘みに言ったかな?」
「社会主義国だったからだ。」
なんて言っていたらやっとデザートが出てきた。
湯気を立てて苺の香りがぷんぷんするそのデザートは思いがけずおいしくて、手が掛かっていそうで、
「冷凍ものをチンしたんじゃないね?」
「本当に団子丸めていたんだよ。」
苺ジャムの入った暖かいふうわりした団子に暖かいチョコレートソースを掛けたものといった感じ。
ボーイさんは気持ちよく写真も撮ってくれたし、ユーロでよかったのでチップを弾んだ。
コンパートメントに戻り一息ついた12時10分にパスポートコントロール。
男女一組のおまわりさんみたいな人が乗り込んできて、私たちのパスポートを「一応」って感じで見ていっただけ。
その検閲?も、途中駅での停車時間も、ゆっくりのんびりで、
次の駅など、ホーム横のアイスクリームやさんで検閲者?の二人がアイスクリームを食べ終わるのを
「ユックリ待っていてあげますよー」
みたいにのんびり停車しているし、案の定30分以上も遅れて、プラチスラバに着いたのは13時になっていた。
時間がちゃんと分かれば私だって飛び降りてアイスクリームを買いに行けたのに!
日曜と言うことで赤帽さんはお休み。
僅か3分?と言う停車時間に男性軍が奮闘して荷物を下ろしてくれた。
途中あんなにのろのろしていたのに何で停車が3分なんだ?
駅を抜けバスまで各自バゲッジと奮闘。
バスの中から振り返った駅舎は近代的だったけど、その僅か数分後には綺麗だけれどとても古い感じのする市街地に入った。
大統領府か国会議事堂か大司教宮殿か?(良く分からない)旗の立ち並ぶ白い瀟洒な建物を横目に通り過ぎたあたりで下車し、
旧市街地に入る。
建物の下のアーチ型の入り口を潜り、カフェテラスの並ぶ明るい観光客で賑わう街路を進んでいくと、直ぐミハエル門。
特徴的なちょっとトルコを思わすようなグリーンのたまねぎを頂いた塔だ。
この小さな市街地ではどこを歩いていてもこの塔は見えそうだ。
このミハエル門は市街地の北門で、元は東西南北に門があったそうだ。
1291年に自由都市になってから市街地の壁の建設が始まり、
15から16世紀にかけて門の上に8角形の見張り台が増築され、また18世紀にバロックの屋根に改築されて、 今日のこのオリエンタル的な雰囲気のある門になったのだそう。
現在は兵器博物館として使われている。
その門を潜り、真っ直ぐに続くこの石畳の道が今もメインの道路の一つに違いない。
レストランや時折通り過ぎる横へ入る路地は趣があり、ツァーでランチに向かっているのでなければつい誘い込まれそうだ。
この道に沿ってホテル・カールトンとかリストの後援者の家とかが並んでいる。
昼食を取るレストランはこの通りの中でもひときわ美しく大きな建物だった。
「カフェ・レストラン・ズゥッチ」と書かれていても本当は私には読めない。
添乗員さんを捕まえて「なんて読むの?」だ。
メニューはそうめんもどきの麺がくっ付いたようなものが入ったコンソメスープ、ポークソテーのザワークラフト添え、デザート、コーヒー、 スグリのジュース(2ユーロ)だった。
広い店内を抜けて行く時見えたテーブルの設えや中庭が、お味よりステキ!だった。
昼食が終ったのが2時過ぎで再び店の前の道を先に進む。
プラチスラバ大学、モーツァルトに関係ある建物、大司教館、そしてフェイズドラフ(って聞こえたけれど誰?) の大きな像のある可愛らしいフラヴネー広場。
石畳にワゴンの土産物や、可愛らしいおもちゃのようなトラム、ところどころのベンチにはユーモラスな彫像。
広場に面して美術館や日本大使館まであった。
3,4階建てのカラフルな建物が整って並び、「プチおとぎの国」と言えなくも無い。
道のところどころに顔を出す愉快な像は写真を撮らずには居られないくらいユーモラスで楽しい。
広場から出る道をさらに進むとオペラ座前にガニメデの噴水のある広場。
姿の美しいちょっと小型のオペラ座。
それに直角にネオ・バロックのスロバキァ交響団ハウス。
主義思想からめられても楽(がく)は糧
逆茂木の時も乗り越ゆ民の歌
マロニエの街路樹の道をさらに行くと聖マルティン教会の塔が聳えていた。
その向こうにテーブルを逆さにしたようなと言われるプラチスラバ城が見えている。
この教会は尖塔の先に王冠が載っているのがユニークだ。
それは1830年代までフェルナンド一世を初めとしてハンガリー国王の戴冠式がここで行われたからだそうだ。
14世紀のロマネスク時代の教会の上にウィーンのシュテファン教会を建てた職人たちの手によりネオ・ゴシックの教会として再建されたものだ。
オスマントルコ時代のハンガリー国王はここで戴冠したと本に書いてあったが、歴史を良く知らないので、 トルコ支配下のハンガリー王国とはイスラムだったのだろうか?
宗教的な支配はどうなっていたのだろうか?
ここからバスに乗ってプラチスラバ城へ向かう。
バスを降りてなだらかな坂を登っていくと、緑の美しい芝生に黄色の可愛らしくも均整の取れた質素な建物が並んでいる。
王宮の入り口前にある石畳の広場の先は展望台のようになっており、眼下のドナウ川から向こう岸には新市街が広がって、 さらにその先には亡羊とした平原が見晴るかせた。
対岸まで掛かっている新橋は85メートルでタワー展望台があるそうだ。
この大団地群とも言える新市街地は公団住宅のようで、ロシア占領時代に作られたもので、「夏は暑く冬は寒い悪評高い建物群なんです。」
とはガイドさんの話。
遠くから見えるとまるでそこだけに近代が来ているようなのに。
トイレを借りるためだけに入った王城内はガラーンとしていて何もなく妙にうつろだった。
明治期に廃城の憂き目に会った日本の城たちもきっとこんな顔していたんだろうなぁ…里心?
川筋に二つの時代ドナウ川
4時前にバスに乗りプラチスラバを離れる。
振り返るたびに逆さテーブルと言われる城の4本の脚が見えている。
風力発電の風車のあるなだらかな丘を超えていくと約10分ほどでスロバキァとオーストラリアの国境。
国境の小さな土産店で
「ここでチェココルナ持っている人は使いきってしまうといいですよー。」と添乗員さん。
パスポートコントロールを通過して一旦オーストラリアに入国。
ここからさらに20分ほどでハンガリーへの国境。
ここのパスポートコントロールでトイレ休憩とともに両替。
今度は千円ほどをフォリントに両替をしておいた。
明日の自由時間には地下鉄に乗るつもりだしね。
千円が1760フォリント。
今日はチェコからスロバキァ、スロバキァからオーストリア、オーストリアからハンガリーと4つの国を出入りしたことになる。
実際どこにも線は引いてないのだもの、歴史の中で様々な民族・国が通り過ぎていくのは無理からぬことだったろう。
変化のない景色の中、入国して直ぐがエステルコム市。
ここにはスズキ自動車の工場が有るのでスズキ車が多いと添乗員さん。
「あとは東独車のトラバンドっていうのが多いですかね。」
ハンガリーの高速道路はチェコと同じに料金は前払い制でステッカーを買いフロントに張っておくのだそうだ。
チェックは出入り口に居るポリスが望遠鏡で見張っていて、張っていない車は次の出口で捕まえるのだそうだ。
それってどう?合理的?
さて、その道路上での添乗員さんのお話。
「ブタペスト名物といえばトカイワイン(貴腐ワイン)。
甘みのレベルは数字で表示。
4・6・8と番号が高くなるほど甘みが増していくのだが3がついていれば十分甘いです。
他にはパーリンカという蒸留酒があって、ウォッカのようなものです。
ほかにユニクムという薬用酒があり、胃腸に良いといいますがとにかく苦くて不味いです。
赤字に白十字架のマークが付いているから分かります。
赤ワインではエゲルビカベールという渋めのワインがありますね。
ほかにここの名物といえばパプリカ。
チューブ入りから粉末まで様々あります。
何にでも入れるという感じですかね。
チェコの代表料理グヤーシュもパプリカ料理です。
ほかにお土産にいいのは刺繍製品ですかね。
色彩が本当に豊かです。
手作りのものを買う時は上手下手をしっかり見極めてください。
私のお薦めはプロポリスです。
日本では1本4,5000円しますよ。
粉末を買って飲む時は蜂蜜に溶くといいですね、苦いですから。
プロポリスのクリームはいいですよ。
私は飛行機の中では必ず塗っておきます。
つやつやで肌にとてもいいです。いつも持ち歩いていますね。
ここへ来た時に買い込んでおくんです。
そうですね、後はフォァグラの缶詰ぐらいかな。
サラミは買わないでください。没収されますからね。
ブダというのは水のことです。
王様の居るブダにぺストはパンのかまど・ストーブの意味で、庶民の居るのがぺシュト(ペシュトと発音するのが正しいです。)
夜景の美しいことではドナウの真珠とかドナウの薔薇とか言われています。」
夜の8時にブタペストのホテルに到着。
プラチスラバから約190キロ、ほぼ3時間半のバスの旅だった。
夕食はホテルの直ぐ隣のレストラン「CSRDA・RESTAURANT」だった。
添乗員さんに読み方を聞きそびれた。
レストランというよりは民謡酒場って感じ?
食事はチェコ料理。
グヤーシュ、パプリカたっぷりのチキン料理バターライス添え、トカイワイン(4ユーロ)、エヴィアン(2ユーロ)アイスチョコレートソース、 コーヒーで、トカイワインが甘くて飲み易かった。
私たちのグループはオプションしていなかったのだけれど、
直ぐ後に入ってきたアメリカ人のツァーが民俗音楽ショーを予約していて、私たちのテーブルと彼らのテーブルの間でハンガリーダンス、 音楽のショーが繰り広げられ、便乗で私たちも楽しませてもらった。
「写真もご自由にってアメリカ人のツァーコンダクターが言っています。」
というわけで写真を皆さん撮り巻くっていました。
頭に瓶など載せて女性たちの足技のダンス!
民族衣装、名も知らぬ楽器、男性陣の歌。
楽しい軽業みたいなぺアダンスなどを。
途中で民族衣装を着た女性が回ってきて一緒に写真を撮って回る。
「後でお皿に焼き付けて持ってきますけれど、気にいらなかったら買わなくていいですからね。」
と、添乗員さんが大声を張り上げている。
私は後で「まァこれも記念だわ。」と買ってしまったけれど、彼女は「ふん!」と横目で眺めただけ。
後で「あんたあれに幾ら払ったの?」
「日本円で千円って言うから円で払った。」
「居間に今掛かっています!」何ちゃって。
結構楽しんで11時半過ぎにホテル・ブタペストへ。
添乗員さんがチェックインをして鍵を貰っている間に私はショップで「ブタペスト」の金文字入りの黒の半そでTシャツを一枚買い込んだ。
だって、毎日真夏のように暑くて、セーターなんて詰め込んできちゃって、どうやらTシャツが足りなくなりそうなんだもの。
ありがたいことにお天気には本当に恵まれている。
このホテルも四ツ星だというがやっぱり市街地から離れていて、市電のVAROSNAJOR駅の前、 モスクワ広場から歩いて十分ほどのブダ側の丘にある。
夜はもうとっぷり暮れているからまぁここでもいいけれど。
904号室。