東欧4ヶ国の旅⑥
第5日目 (火) 4つ目の都
移動日なので朝は忙しい。
6時15分モーニングコール。
7時にはバゲッジを廊下に出して朝食に。
7時50分には各自チェックアウトしてロビーに集合、
8時バスで出発。
ウィーンまで約240キロ、4時間のバスの旅。
ハンガリーとオーストリアの国境で一度パスポートコントロール。途中コンビニでトイレ休憩。
「フォリントを使い切ってくださ~い」で、水175FT
途中は田園一色。
行けども行けども平野。
菜の花畑、ひまわり、ジャガイモ畑、砂糖大根(ビート)に小麦の畑。牧草、白い細かい花畑は蕎麦みたい。
ささやかな村が点在。
なだらかな野の幸せは蕎麦の花
幾星霜民族断裂刻む野辺
車中の詰め込み知識
その1は車のナンバーの見方。
ハンガリーはH、オーストリアはA、チェコはCZ、スロバキァはSK、ドイツはG、オランダはNH、ルーマニァはRO、フランスはF、 ユーゴはYU、イギリスはGE、
トルコはTRが最初に付きますから、見分けてください。

その2はハンガリー料理の作り方。
パプリカ料理で、パプリカの甘口を利用するものの代表がグヤーシュスープ。
鍋でオイル(ラードかひまわりオイル)を熱し、パプリカパウダー大匙1を入れ、油が赤くなったところで牛肉を炒め、好みの野菜を入れて炒め、 スープ、塩で味を調える。
グヤーシュをメインの一品にする時は、やはりオイルにパプリカ、粗微塵のたまねぎを入れて炒め、肉(豚・鳥・牛好み)を入れ、きのこ (マッシュルーム)を入れ順次炒め、火が通ったら塩で味を調える。付け合せはニョッキ(すいとん)、ジャガイモなど。
パプリカの辛口を使った料理として、パプリカチキン。
チキンをソテーしてホワイトソースにパプリカを入れて着色したものとあえる。
辛口は主に胡椒の代わりのように使用する。
サラダのドレッシングに、チーズのつまみに振りかけて。
さて、ビールの上手い国からワインの上手い国へ。
区切り無き地を振り分ける味覚かな
その3はウィーン土産。
なんといっても塩。
ザルツブルグが有名ですがその名の意味が「塩の城」ということですから。岩塩です。
今はスプレー式の塩も売っています。
かぼちゃの油もいいですね。濃い緑色の香りの高い油です。
かぼちゃの種のお菓子、おつまみなどもあります。
工芸品では刺繍のプチポワンが有名ですし、一番はアウガルテン、陶器ですね。七宝焼きもいいですよ。
チョコレートではモーツアルトクーゲルンという丸い玉のようなのがあります。
ザッハトルテは言うまでも無いですね。
と、そこからはタックスフリーの手続きの説明に移った。
つまりここまではブランドものを買う人も余り居ないし、居ても添乗員さんが連れて行った店で買物は済んだからと言うことのようだった。
ここでタックスフリーの説明をすると言うことは
「ウィーンでは皆さんブランド物も買えますよ。」ってこと?
ちなみにオーストリアは「エスターライヒ(東の国)」に由来するという。
そしていつの間にかバスはウィーンに入っており、ウィーンは23区に分かれているのだが、 その18区あたりのレストランにまず向かうということだった。
直ぐにベルデベーレ宮殿が見え、直後にシェーンブルン宮殿が見えた。
しかしバスは間もなく17区あたりの同じ道を何度も行ったりきたりしているのに皆気が付いて「おや?」と言う声が広がり始めたので、 添乗員さんが説明をした。
ハンガリーからのバスの運転手さんは土地に不慣れで目指すレストランが見付からないのだそうだ。
レストランで待ち合わせるはずの土地のガイドさんと携帯が繋がって、途中までガイドさんが迎えに来てくれることになり、 わかりやすい広い道端に止まって待つことになった。
時間が過ぎていくのが惜しい!約一時間遅れで午後1時にレストラン「シュランメル・バイスル」に到着。

ウィンナシュニッツェル・ポテト添えにアインシュペナーのコーヒーが付いた。おいしかった。
昼食後「エリザベート成婚百五十周年記念観光」と銘打った観光。
まずさっき通り過ぎたシェーンブルン宮殿に行く。その途中バスから遠目に市電のホーフバビリオンが見られた。
皇室専用駅舎として、ワーグナーの手による一連の物の一つとして建てられたものだが、実際には一度しか使われなかったと言う駅舎だ。
その駅舎の線路は川のように溝を掘って?道路の下を走っている。つまり、屋根の無い地下鉄のようだ。
実際これは地下鉄らしい。
何かに「屋根が無いので世界最初の地下鉄とは言われないが、実際はヨーロッパで最初に出来た地下鉄だ。」
と書いてあったのを読んだ記憶がある。

走って行く電車の屋根がバスから見下ろせた。
地図で見てみるとどうやらもう一本西側の大きな通りを走ってくれれば、オットー・ワーグナーのメダイヨン・マンションとかマジョリカ・ ハウスなどを見られたかもしれない。

その道はナッシュ・マルクとという市場街でもあるし、惜しかったなぁ。
シェーンブルン宮殿は来る前にNHKの「クリスマスの世界遺産の旅」で見ていた通りの建物だったが。
マリア・テレジア・イエローというのは私が思っていたより濃くて黄土色が勝っていた。


裏側は丁度塗り替え中で、この色に保つためにはなかなか注意を払われているのだと実感した。
世界遺産も大変。
この宮殿は17世紀の末に皇帝レオポルト一世の新宮殿として構想された三層横長の建築で、両翼が前方に突き出る形式で、18世紀にマリア・ テレジアがロココ様式に改築し生活する離宮とした。
裏のグロリエッテに通じる美しい庭園もテレジアの頃18世紀後半に整備された。

私たちは決められた見学コースをハプスブルグの軍事力を誇示するような金・赤・クリーム色の豪華な大広間、小広間、控えの間、
ヨーゼフ二世の結婚がテーマとなっているセレモニーの間、ハプスブルク家終焉の場所となった青い中国の広間、マリア・
テレジアが亡くなった夫を偲ぶために作ったと言う壁面漆塗りのシノワズリの漆の間、
ナポレオンがウィーンを占拠した時に使ったナポレオンの間、テレジアの娘たちの絵による墨絵の間、
内装費用が百万グルテンかかったと言う百万の間、ゴブラン織りのタペストリーで覆われたロココのゴブランの間、
パイナップル柄の赤が目に付くビーダーマイヤー様式の赤いサロンなどの順に回った。

部屋部屋を回っているうちにただ豪華だったなと言う印象だけになっていってしまったのが怖い?
庭を散歩するほぼ15分ほどの自由時間があったが、それではグロリエッテは遠望するしかなくて、駆け足の宮殿見学だった。

続いてバスでホフブルクに向かう。
ブルク門の近くでバスを降り、ブルク門から新王宮と英雄広場の間、王宮中庭、パラヴィッチーニ宮殿の横を通って旧王宮内のシシィ博物館へ。
実際に歩いた道がこうだったとは今になると断言できない。
自分ではそう歩いたつもりなのだが、結局おしゃべりをしながら連れられていくままに歩いているので。
後で写真と見比べて確認しているのだが、地図で見るとこれがまた違うように思えるのだ。
門を潜っていなければならないのに、潜った覚えが無いとか、広場を通ったと思うのに、地図ではその広場が特定できないとか。
本には「旧王宮の北側・帝国宰相官房翼と西側・アマーリェ翼がカイザー・アパートメントと呼ばれていて現在はシシィ博物館になっている。」 と、あったが。
シシィ博物館へ行くのに横目で見て行った新王宮は1869年に建てられたもので、楕円形の広場を囲む二棟として構想されたが、
一棟のみしか建たなかったそうだ。

「凱旋門風の中央部、湾曲して左右に広がるファサードが力強い。現在は博物館や図書館として使われている。 シシィ美術館のあるホフブルグはハプスブルグ家の居城で、 増改築を重ねたため複数の様式がごちゃごちゃに混じってしまっている。」
旅の前に詰め込んできた知識の通り、外観も内部も複雑極まりない。
最も古いのは13世紀のスイス宮で、15世紀の王室礼拝堂、英雄広場に面するレオポルド棟は17世紀後半の初期バロック、
ミヒャエル棟は18世紀前半のバロックといった具合だ。

分からなくなるのも当然でしょう?
醍醐味は街と歴史の迷路から
シシィ美術館ではハンガリーで絶大な人気を誇るシシィことエリザベート皇妃、フランツ・ヨーゼフの生涯を辿る。

美貌の妻は肖像画などで美しいことはとてもよく理解できたけれど、見ていくうちに随分わがままな人生を送ったのだなぁという気がしてきて、 あまり好感を持てなくなった。
勿論ねたみではありませぬ。念のため?
自分の容貌とスタイルの維持に払った膨大なエネルギーの使い道が他にあっただろうにとも思えてしまったからだ。
もっともあの立場、夫、姑・・・確かになぁ、難しいけれど。
悲劇は自分で招いたと言う部分もあるような気がしてしまった。
咲き出れば持てるもののみ磨く花
生き方が現れ出でて人成ると
地のものの万骨枯らす生き方も
質素な鉄パイプのフランツ・ヨーゼフのベッドに対するのが美容器具だなんて。

この旅に出る前にグッドタイミングでNHKが「第3の男」を放映した。
戦後の荒廃したウィーンで撮られた白黒の光の陰影の見事な、有名な耳に残る音楽のあの名作だ。
丁度そのメーキング映像も私は見ることが出来たので、この旅であの撮影がなされたところの幾つかは見られるのではないかと期待していた。
パラヴィッチーニ宮殿の前を通るところで添乗員さんは

「ここが第3の男の撮影現場の一つです。」と立ち止まってくれた。オーソン・ウェルズが最初に登場するシーン、ジョセフ・ コットンに見付からないように隠れていた柱の陰。
あの場所なんだそうだ。
なんかちょっと違うような気もしたが、それでは彼がその後走って逃げた光が当たって濡れたように見えた石畳はカフェ・ モーツァルトの前に出るあの道だろうか?
しかしそこはもう石畳の道ではなかった。
「第3の男」の文庫本を図書館で借りて読んだが、 それには原作者が監督に頼まれてから書き上げるまでのことも前文に書かれていて興味深かった。
が、実際に出てくる地名のところを歩くのはもっと興味深い。
「ケルントナー通り、ホテル・ザッハー、ヨーゼフ・シュタット劇場、オリエンタル・バー、プラーターのメリーゴーラウンド、アストリァ・ ホテル、中央墓地、ダイアナ浴場、聖シュテファン教会。」
そしてそのカフェ・モーツァルトも本の中に出てくるのだ。
明日の自由時間にその幾つかは通れる。
この撮影現場といわれるパラヴィッチーニ宮殿は周りの建物と比べても地味で落ち着いた、宮殿とは思えない佇まいの、 でも入り口の四対の女神像が気品を添えていると言った感じの建物だ。
バロックから新古典への移行期の代表的な都市宮殿だそうで、ファサードも落ち着いた感じで、ただ壁面に窓だけが均一に並ぶ建物だ。
玄関の破風とあの女神像だけが個性を見せているように思われた。
宮殿から出て、道なりに歩いていたらオペラ座の裏に出た。
グルッと迂回して、リンクを渡り案内されたのはまたお土産やで、「ワルツ」。

ひとしきりお買物タイムがあって、私はここでついスワロフスキーの指輪を一つ記念に買ってしまった。
新聞小説、題は忘れたけれど桐野さんの小説で不倫する中年男が相手の主人公にスワロフスキーのネックレスをプレゼントする場面があって、 ふとそれを思い出してちょっと腐った!
「良くも悪くも私は影響受けやすい!」
「ワルツ」の前に立つと左手にカールス・プラッツ駅とその向こうのカールス広場とカールス教会が見えた。
そして右手にはあのゼセッション(分離派会館)の特徴的な金色のドームが見える。
バスに乗り、ヒルトン・ホテル到着。

この日の夕方からのオプション「ドナウタワー夜景鑑賞とホイリゲの夕べ」というのを前日予約しておいたので、それに参加する。
夕食が難しいからか夜景に皆惹かれるからか、結局全員参加だった模様。
添乗員さんに一万円(日本円で)支払う。
私は夜景もだけれど、ハイリゲンシュタットのグリンツィン村にあるホイリゲに行ってみたかったのだ。
ベートーベンの散歩した道、彼の「遺書の家」がこのハイリゲンシュタットにはある。
明日の自由時間ではとてもそこまで行けないだろうから、少しでもその雰囲気を味わってみることが出来るかもしれない。
実際グリンツィン村のホイリゲの並ぶ(この村には三十二軒のホイリゲがある)陽気な道は林の中を縫っていると言う雰囲気があって、 電飾に光っていなければ静かな林の中を抜ける小道と言ったところだろう。
まだ当時の面影は残っているに違いない。
ほんの残り香を嗅いだにすぎないが。
私たちの行ったホイリゲは「バッハヘンゲル」という可愛らしい店で、といっても中は割合に広く、
間もなくアメリカ人の団体が賑やかに闖入してきていかにも酒場になった。

「行く先々でアメリカ人の団体に会うね。」
「そういえば一昔前の農協ツァーみたいにも見えるね。」
食事はスープ、サラダ、肉の盛り合わせポテト添え、菓子パンに白ワイン一杯付き。
シュランガルセ(民族歌手) と呼ばれる陽気な顔をした老ギター弾きと陰気なまたは内気な顔の若者が賑やかに軽く民謡やワルツを狭い通路を踊るように演奏して歩く。
アメリカ人はここでも乗りがいい。

今夜は私もウィーンに乾杯する気分で帽子を持って回ってきた若者に20ユーロ弾ん?だ。
ほろ酔いの日本人たちは間もなくドナウタワーの夜景を見るのにテーブルから引き剥がされた。
私も白ワインのほんの小さなグラスに顔を染めていたに違いない。
タワーからの夜景は360度の展望を楽しめたが、一番嬉しかったのはプラーターの観覧車が見えたことかもしれない。

ドナウ運河が光り、その向こうにはドナウ川が流れているはずだ。遠くまで来たのだなぁと言う感傷がある。
プラーターでの夜という手が使えるくらい語学に堪能だといいのに。ウィーンは治安は良いのだそうだから。
11時にホテルに帰りついた。
それにしてもいい写真が・・・・無い!残念だわ。
